虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

自民党と公明党が仲良しな訳

以下は、「小沢一郎」についてのwikiからの引用(抄)です。

竹下派、特に金丸の意向によって1989年8月に成立した第1次海部内閣では金丸の推薦により47歳の若さで党幹事長に就任。金丸・竹下とともに、政権の実質的な実力者となり、ねじれ国会下で公明党など野党とのパイプを駆使して国会対策にあたった。

(中略)

細川政権下で小沢は内閣とは別に与党の意思決定機関である「連立与党代表者会議」を開き、公明党書記長の市川雄一とともに政権の主導権を握ろうとし(一・一ライン:一郎と雄一から一の字を一文字づつ取って/筆者注)、官邸主導の政治を目論む内閣官房長官武村正義と激しく対立した。

(中略)

1999年10月、公明党が政権に入り、自自公連立政権が成立した。自民、公明両党で参院過半数を抑えることになったため(野中らは公明を引っ張るために、自由党と連立を組んだという事情もあった)、政権内部での自由党の存在感は必然的に低下した。


ここに、現在自民党公明党が「蜜月」である経緯が読み取れます。小沢一郎は、田中角栄竹下登金丸信らの信任が厚く、当然次期自民党総裁内閣総理大臣になることを期待されていましたが、総理になりたかった宮沢喜一渡辺美智雄三塚博に対し、「面接」を行い、党内の顰蹙を買うほどのゴーマンさを発揮しました。


ただ、長期低落傾向にあった自民党が政権の座に坐り続けるためには、野党を取り込むことが重要だとし、公明党民社党などにアピールしました。


小沢自身が、自民党を割って出て、「新生党」を結党した際、先に引用したように、公明党市川雄一と緊密な関係を構築しました。この時点では公明党自民党になびいていませんでしたが・・・


小沢一郎が野党の結集を目指して結党した「新進党」も空中分解し、あらたに「自由党」を結党して、自民党とくっ付き「自自連立政権」を構築しましたが、これに公明党が引き寄せられ「自自公連立政権」が出来上がります。(一・一ラインが有効に働いたのでしょう)この場合、自由党自民党公明党の「接着剤」としての役割を果たしていました。でも、その役割が小さくなってくると、小沢一郎はここでも連立から脱退して、こんどは民主党と合併するに至るのです。そして、出来上がったのが自民党公明党の切っても切れない関係でした。接着剤は不要になったのですね。


自民党は各種宗教団体から支援されていたのですが、公明党、すなわち創価学会と組むということについては、相当な軋轢があったと聞きます。選挙協力でも、この2政党は蜜月ですね。これは聞いたことですが、自民党公明党も、政治上協力をした相手の政党を「吸血鬼のように枯らしてしまう」との評価がある政党であると。そしてお互いにお互いの「生き血」を吸い合う関係だというのですね。


そうですね、このまま両政党とも消えてなくなって欲しいです。おそらく、昨今の「集団的自衛権」の問題、政権の内部には居たい、でも自民党の構想・集団的自衛権について、「一応は反対のポーズを見せ」、「ええかっこ」はしたいというポーズをしたとしか思われない公明党は、いずれ自民党に食い尽くされてしまうでしょう。むかし、評論家の佐高信さんが、公明党を称して「(鳥類か哺乳類か判らぬ)コウモリ政党」(こう言うと、コウモリが可哀そうですが)と呼んでいましたが、定見がなく、ただ権力の座に居座りたい政党であるなら、存在価値はありません。



今日のひと言:以上のように見てくると、1990年代から2010年代半ばに渡り、小沢一郎キーパーソンぶりは際立っています。でも、彼が導入した小選挙区制と、彼が仕掛けた自民党公明党蜜月は、野党になった小沢一郎が、(自民党に彼が残れば彼自身のために有意義でしたが)突き崩せない壁になってしまったのだと思います。小沢本人も、「土地転がし疑惑」で強制起訴され、無罪にはなりましたが、国民に与えたダークイメージは深刻で、「生活の党」を組織して、エコ問題を訴えかけても、もう聞く耳を持つ国民はいなくなってしまったのでしょうね。政治家としての小沢一郎は、その役割を終えたのかも知れません。


悪党―小沢一郎に仕えて

悪党―小沢一郎に仕えて