河鍋暁斎(かわなべ・ぎょうさい)〜器用貧乏な絵師
以前、特異な画家・曾我蕭白(そが・しょうはく)を取り上げた際、関連文献を漁っていたら、蕭白とおなじようなテイストの絵師として、今回取り上げる河鍋暁斎がいました。そこで図書館で彼に関する本を借りてきました。
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20120628#1340879189
その描く絵のジャンルが極めて広く、浮世絵、錦絵、大和絵、戯画、幽霊画、春画などに足跡を残しています。ただ、ややもすると、戯画、幽霊画などが目立つ余り、「低俗な絵師」との世評ももらってしまいます。
この辺が、河鍋暁斎が「器用貧乏」である理由になるわけですが、江戸時代末期から明治時代初期に活動した彼は(1831−1889)、日本人よりむしろこの時代に日本にやってきた西欧人に高く評価され、河鍋暁斎の作品は、広く西欧で観られ、葛飾北斎と並ぶほどの評価を受けているのです。
河鍋暁斎の修行歴は変わっています。天保8年(1837年)、7歳で天才画家の名を欲しいままにしていた歌川国芳(うたがわ・くによし)の弟子になります。国芳は自由・奔放な生活もし、また自由人でしたが、河鍋暁斎の父が、この風に染まるのを恐れて、河鍋暁斎を国芳から引き離します。
そして、今度は天保11年(1840年)10歳で日本画の正統派・狩野派の絵師・前村洞和に再入門、師の病のため、同じく狩野派の狩野洞白陳信に就く。
こんな経歴のため、河鍋暁斎は色々な絵画を得意とするようになったのです。それにしても、狩野派という流派は、私の知る限り、私も含めて、陋習に囚われた独創的でない絵画を生み出してきた「反動集団」かと思っていましたが、河鍋暁斎に限っては、絵画のハバを広げるという意味で有益だったのですね。また、国芳と過ごした日々も有益だったのでしょう。
今回参照している本は「反骨の画家 河鍋暁斎」(狩野博幸、河鍋楠美:新潮社とんぼの本・2010年発行)です。この本に収録された絵から、3点を選び、掲載します。
P42 「髑髏と蜥蜴(どくろととかげ)」ここで描かれているのは「狂」の精神、なにやらこの絵柄、どこぞの暴走族がエンブレムに使いそうですが、この種のネタは、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)、葛飾北斎らも使っています。「狂」という言葉は「聖」に近く、明治時代に河鍋暁斎が筆禍事件を起すまで、河鍋狂斎と名乗っていたそうです。
P63 「キリスト像」前述、西欧人との交流の元で、いかにも日本画に馴染まない画題を選んでいます。正式名称は「釈迦如来図」。絵柄では釈迦というよりキリストに見えます。
P76 「観世音菩薩像」聖母マリアのような慈悲心。この辺に、狩野派で正統的な大和絵を学んだことが思いっきり発揮されているようです。
狂(今日)のひと言:いろいろなジャンルの絵を描いた絵師だったため、雑多でごちゃごちゃした絵を描くこともあります。そのような絵には、私は興味がありませんが、このブログで挙げた3点の絵は、どれもなかなかなものだと思います。なお、河鍋暁斎は、自らを「画鬼」と呼んでいたようです。
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