虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト:色々な事物を取り上げます。

日本陸軍最低の将軍・鬼畜・牟田口廉也

牟田口廉也wikipedia)→



全4回に渡る「太平洋戦争」を巡る将官の話。
不規則にエントリーします。その1。


 戦争をする軍隊に重要な要素が3つあります。作戦、情報、兵站(へいたん:ロジスティック・後方からの物資補給)です。これを「槍:やり」という武器になぞらえると、穂先が作戦、柄が兵站、腕が情報となるでしょう。槍の穂先はもちろん鋭いのを良しとします。また補給を司る柄は長いことが良く、腕にあたる情報は正確であればあるほどよい。


 ここに、穂先のみにたよって大作戦「インパール作戦」を指揮したのが、牟田口廉也(むたぐち・れんや)中将です。インパールは、東インドにある軍事の要衝で、ここを確保すればインドから中国に物資を送るラインが切断できるのですから。また、武力によるインド独立運動の首領・チャンドラ・ボースを援護するという名目もありました。でも、この作戦は勝利を得ることは不可能とした大本営に牟田口は食い下がり、許可を得てしまいます。


参考過去ログ
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110907#1315390057

マハトマ・ガンジーチャンドラ・ボース/インド独立の立役者



 彼、牟田口廉也は思い込みの激しいひとで、日中戦争の発火点になった盧溝橋事件での事件発生の当事者として、国に迷惑を掛けたと思っていて、このインパール作戦に賭けました。15軍の牟田口の上官河辺中将も、彼に「情け」をかけて、この作戦を支持しました。


 そこで牟田口が取ったのは、雨季前を、険しいビルマ(3000m級の山もあった)の地形を縦走し、インパールの英・インド基地を奪うというものでした。そして百戦錬磨の兵たちがあっさりとインパールを攻略するというものでした。「英・印軍は弱い」と勝手に思い込んでいました。その際「コンティンジェンシー・プラン:失敗、不測の事態にどう対応するかの計画」はまったくなかったようです。


 ところが、(と言うか当然)現実は牟田口の夢想の逆を行くものでした。雨季になり、険しい山を乗り込んできたとき、イギリス軍のスリム中将は飛行機による偵察により日本軍のインパール攻撃意図を知っていて、さらに奥に日本軍を引き込む戦術を取っていました。もともと日本は食糧は現地調達としている軍隊で、兵站(後方からの物資補給)を無視する行動を取る将軍はいましたが、牟田口のように典型的なひとはそうはいません。


 この作戦は、初めから失敗が約束されていました。スリム中将は、日本軍の情報を正しくつかみ、兵站で窮地に陥れるという、先に挙げた「槍」の理論では、兵站、情報、いずれも優位にたち、穂先を完封してしまいました。


 日本軍の損失は、参加人員10万人のうち、戦死者3万、戦傷および戦病のために後送されたもの2万、残存兵5万のうち半分以上が病人。・・・ほとんどの兵が生死の境にいたわけです。日本軍が敗走した経路には、延々と死体が折り重なり、「白骨街道」と呼ばれたそうです。その間、牟田口中将は、安全な後方でぬくぬくとしていたのだから、何をかいわんやです。


 そんな彼は、指揮下の3つの師団長3人ともうまくいかず、3人とも解任、更迭しています。兵たちの間では・・・「鬼畜牟田口」とだれともなく呼称されたそうです。「鬼畜」・・・「人間でない邪悪なもの」・・・と言った意味なのです。「鬼畜米英」とは、当時の日本の合言葉でしたが、その名が日本の将軍に与えられるとは、・・・よほど、兵たちの恨みを買ったのですね。



今日のひと言:今回のブログの参考文献は
  失敗の本質 日本軍の組織論的研究(中公文庫)
  指揮官 上  児島襄  (文春文庫)

でした。戦史の勉強は、人間の勉強にもなるのだと思います。




今日の一句



見事なり
モッコウバラ
集団美


モッコウバラは、中国原産のバラの一種。一輪一輪をめでるというより、沢山の花が並び立って咲く姿に見どころがあります。

   (2012.05.06)

東京裁判〈上〉 (中公文庫)

東京裁判〈上〉 (中公文庫)