乖離(かいり)とは「隔たっていること、離ればなれになること」、この場合矛盾と言った意味も持たせています。
今回のブログは、「為才の日記」:
(http://d.hatena.ne.jp/izai/20101021/1287669957)
へのコメントから始まります。
iirei(私):いつか、呉智英(くれ・ともふさ)さんの本を読んでいたら、古代中国で、「文字」が発明されたとき、物の怪の主が現われて、「たしかに、文字の発明で、我々は滅びる、だが、お前たち人間もただでは済まないと覚悟しておけ」と言って消えたという話が紹介されていました。これは、「意味を求める」人間には、耳の痛い説話ですね。
これほど現代的な説話を持つ中国はある意味スゴイですね。
izai(為才):>iireiさん、こんにちは。(かなりサボっていて、スミマセン)たしかに中国は文明の奥深さを感じますね。現代中国もその祖先に目覚めてほしいですね、、。文字(言語)にはもともと意味を伝えるが、物自体から人間をひき離し、滅亡へ導きかねない背理した初源があったんでしょう。その説話はみごとにそれを物語っていますね。すぐれたアートは、言葉のない世界につねに触れていて、それを思い出させてくれます。(10.10.21)
さて、今度はすこし問題を変えて・・・第二次世界戦争中の、日本軍の参謀。彼らには、トンデモな人が多く、たとえば、パプアニューギニアの攻防戦で、実地を知らずに地図(一種の文字)を見ただけで、作戦計画を立てた無謀な参謀がいたそうです。地図では平坦に見えても、実は急峻な地形であったりするわけです。標高3000m級であると言った具合。これが、地図のみで立案する人にはわからない。情報を正しく認識していないし、実体についても無関心です。次に挙げる例もそのような感じの事例で、ビルマ戦線における参謀たちの無能ぶり、また「残虐さ」を示すと思います。上で書いた以上のトンデモなさです。(なお、先の引用で言う「物自体」は、私の言葉では「実体」となります。)
地図・情報の不足。
私たち見習士官が、昭和 19 年 7 月 1 日当時のラングーンのビルマ方面軍司令部にて、第 53 師団に転属命令を受けた後、当師団が北ビルマにて戦闘している地域の地図を数枚受領した。 その地図は英国製で 13 万 5 千分の 1 であった。 中々緻密でよく出来ていたと思ったものである。 然し、時日の経過と共に地図には無い地域に移動し戦闘をしていた。 即ち、我々は地図も無しに命令されるままに戦闘をしていたのである。 今考えても無謀そのものであつたと思う。
20 年 4 月 10 日頃、中ビルマのキャウセから転進していた部隊は、日暮れ直前にカロー街道に到着した。 到着と同時に休む暇も無く私は聯隊本部に呼ばれた。 重機関銃の搬送も手伝っていたので、体は相当草臥れていた。 本部に行くと各大隊から将校斥候を出すと言う命令であった。
将校斥候は通常小銃中隊から出ており、機関銃中隊からは出ていなかった。 然し、若い将校が少ないので重機中隊の私に命令が来たのである。 命令は下士官以下数名の兵を率いて、カローから西約 40 キロの地点にあるパヤガス付近の敵情を偵察し、明朝までに本部に報告せよとのことであった。
命令受領後、本部で 25 万分の 1 の地図を見せてもらい概略を模写した。 (聯隊には、この地図は一部しか無かったのである。) 斥候に出て暫くして第 53 師団の三宅少佐参謀と会い、何処へ行くのかと尋ねられた。 これからパヤガス迄斥候ですと答えると、「ご苦労! 地図は有るのか?」と言われたので、「聯隊本部で見て写してきました。」と答えたら、参謀は図嚢から地図を取り出し私に見せてくれた。
その地図は 5 万分の 1 で本部で見たものよりは、より詳しく記されており、目的地までは一枚の地図では間に合わず二枚にわたっていた。 戦争をやるのに地図が第一線の士官に渡っていないこと。 また私たちに分かっているのは、目の前の状況・戦況だけで、自分たちの中隊・部隊が全ビルマの如何なる立場におかれているか等の情報は皆目わからなかった。 井の中の蛙大海を知らず、と言う立場で戦争をしていたのである。
http://www2.ocn.ne.jp/~ricky.mv/private_room/koyasu/koyasu_memo03.html より。
最低限の情報である地図さえ持たさずに、死地に赴かせるという感じです。地図という情報さえもなく、戦争に行かせるとは、これは情報と実体との乖離以前の問題ですね。愚かな参謀たち・・・こんな感じで、万人単位の日本兵を殺す「インパール作戦」を実施したわけです。「食糧は現地調達」という兵站(へいたん:ロジスティクス)を無視した作戦で、派兵した2万の兵の過半数が飢え死にするという惨状だったのです。
また、海軍の参謀も似たりよったりで、アメリカ軍が要衝として攻めた「ガダルカナル島」のありかをどの大本営参謀も知らなかったというお話もあります。この島は「ガ島=餓島」として知られ、戦闘でというより飢え死にで将兵を亡くしたという意味で、先の「インパール作戦」とならび称されるトンデモ作戦だったのですね。
今日のひと言:いわゆる「記号論」のソシュールのいう、「シニフィエ」「シニフィアン」という言葉は、私の言う情報(文字)と実体(実地)の乖離をうまく説明するのかな、と思います。私は記号論とか構造主義といったものは嫌いですが。
歴史上の人物で、豊臣秀吉の側室だった「淀君(よどぎみ)」は、豊臣秀吉の威光が彼の死後も続いていると錯覚し、実際には徳川家康が真の天下人であることを容易に認めようとはせず、家康に滅ばされたのですが、彼女も情報と実体の区別ができなくなったのだと思います。
また、私の恥ずかしい逸話ですが、大学初年度のころ、友人に「女のことは本に書いてある」という自説を披歴し、「あほか。」と言われたことがあります。確かに、「生の女」とは、生で付き合うのが根本なのに、それを知らずに無知を悟るとは、我ながらお粗末でしたね。
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