虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

自分をほめてあげたい文章〜〜麻原彰晃と藤村新一

   以下の2つの文章は、今はなき月刊誌「噂の真相」に投稿してボツになったものです。ただ、この2つ、埋もれさせるには惜しいので、ここで発表することにします。西暦2000年くらいに書きました。


1)麻原彰晃の合理的処刑法
                森下礼(詩人)
 この男を死刑に処するのは当然である。それが早いか遅いかだけだ。(この際、死刑廃止論などというたわごとは聞く耳持たない。)
 まず、密閉空間に水を張り、空気中に塩素ガスを満たす。その上で、水中クンバカというオウム独特の優れた指導者である麻原に入ってもらう。彼は水中に数時間いられるそうだから、息つぎのため、たまには水面に来るだろう。塩素ガスはサリンに比べれば作用の弱い毒ガスだが、仲仲消えない。すなわち、麻原と塩素ガスの力くらべである。これはとても楽しい見せ物なので、当然テレビで放映する。だいたい、10指に余る無辜(むこ)の人を殺害しておいて、裁判所というところでも「余裕」というハッタリで虚勢を張るサギ師風情の実力を温かく見守ってやろうではないか。だれも手を汚さず、水戸黄門の快感が得られるはずだ。
 逃げ道はない。必然の死が待っている。



2)日本史上最大の事件
                  司馬遷太郎(歴史学者
 中国の古典(史記)中に、国王の不正を記録した史官が殺され、次の史官がまた記録して殺され・・・以下略・・・とうとう国王は自分の不正が後代に正しく伝えられるという不名誉を受け入れざるを得なかった。歴史の削除こそ、歴史家として決して犯してはならない最大級の過失もしくは故意なのである。ところでここに、「藤村新一」という男がいる。何やら東北あたりで、石ころを埋めては掘り起こすという遊びをやって、それだけで不滅の業績を残したという、日本史上最大の天才である。もちろん、古代史の教科書における記載は削除するのは当然として、この大天才の名は、永く教科書に残すべきである。決してこの名を削除しようと考えてはならない。それは歴史の捏造(ねつぞう)より、さらに大きな犯罪なのである。だいたい、アマチュアの考古学者に振り回される考古学会って何?

 注)藤村新一:アマチュア元・考古学者。発掘の現場、報道カメラの前で、ブツを掘り起こすパフォーマンスをやり、「ゴッド・ハンド」のニックネームを持っていた。それが全て捏造であることが発覚したから、さあ、大変!大変な騒動になったのです。




1) の場合、「目には目を」という古代バビロニアハムラビ法典が脳裏にありました。死刑の形態にしても、さまざまなものがあって良いと思われます。麻原彰晃の場合、いくつも死刑の可能性があってもいいと思うのです。そこで考えたのが1)です。麻原が出来ると主張していた「無呼吸」で何時間でもいられるという彼の特殊技能を試してあげるという趣旨もあります。呼吸のために水面に出てくれば「塩素ガス」が待っている、という仕掛けです。今ではもっと簡単に「空中浮遊できるのなら、どうぞ、と5000mの高さから飛行機から放りだす」という刑も考えらますが。


2) の場合、歴史とは「記憶(ないし記録)に事実を留める」ことが重要で、捏造より削除のほうが罪が重いと思われるのです。2007年に話題になった、「沖縄戦」の文部科学省の官僚が「沖縄戦」を「自決を強いた日本軍の記述を削除する検定意見をつけたことなど、もっての他です。


いずれの文章も私なりに力の入った「力作」です。ほとんどトランス状態で、詩を書くように仕上げました。たまには「自分をほめてあげたい」です。




今日のひと言:「力のある」文をひねり出すには、努力ももちろんですが、運も一つのファクターになります。該当する事例にめぐり会わなければ書けません。また、書く者に書く準備が出来ていなければなりません。


発掘捏造

発掘捏造