虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

『奥の細道』~作画:矢口高雄(「マンガ日本の古典」):地元の強み(随想録―65)

奥の細道』~作画:矢口高雄(「マンガ日本の古典」):地元の強み(随想録―65)


奥の細道』は、日本の古典の中でも、別して名高い。中学校でやる古文では、必ず取り上げられる作品であろう。もちろん、松尾芭蕉が訪問した東北地方の諸名所を俳句にし、俳諧という「面白み」だけが眼目だった文芸を、芸術の域にまで高めたという意味で、俳句の模範書であるとともに、日本の古典の白眉であろう。



ここに、つぎのような句を持ってこよう。:


涼しさを わが宿にして ねまるなり


これは初夏、宿を借りて詠んだ句だが、ここに「ねまる」とは東北地方の方言で、「寝る」ということ。ただそれだけのことだが、矢口高雄に掛かると、大きな意味を持ってくる。
芭蕉一行が仙台藩の関所を越える時、折りから幕府と揉めていた仙台藩の関守は、芭蕉が「隠密」ではないかと疑い、なかなか通さなかった。それで行程に大いに遅れの出た芭蕉は、一夜の宿を、道筋の農家に乞うことになる。そこは馬と人が共存して暮らす、いわゆる「曲屋:まがりや」で、芭蕉はこの家で「ねまる」という「優しい」言葉を仕込むのだ。


そして、山賊が出るという峠を越えるために、護衛まで付けてくれた農家の主、芭蕉たちは無事に峠を越えて尾花沢の俳諧愛好家のもとにたどり着く。上に挙げた句は、そんな経緯のもとで詠まれたものなのだ。人情の厚さを感じる。


マンガ家:矢口高雄は、東北地方が舞台の『釣りキチ三平』で有名で、秋田県の農家の子である。彼が『奥の細道』を描くのは適役だったと思う。地元の細やかな言葉をくみ取れたのは、彼ならではだ。ちなみに、矢口は『カムイ伝』・『忍風カムイ外伝』で有名な白土三平の弟子であり、師匠譲りの「解説癖」を引き継いでいる。人物の書き方も白土に似ているが、風景描写や家屋描写は、師を超えて、天才的だった。(白土も矢口も鬼籍に入っている。)

 (2022.12.04)






今日の7句



冬の葉の
朝日を浴びて
輝けり



 (2022.11.27)



溝蕎麦の
河原に白く
群れにけり



(2022.11.27)



稲わらを
ロールに変えて
牛が食む



 (2022.11.28)



西欧で
リーキというなり
ネギなるや



ちょっと違う植物だが。

 (2022.11.28)



黄葉の
アカメガシワ
すぐ裸




 (2022.11.29)



鮮やかに
赤大根の
目を射てり



 (2022.11.29)



白いマッス
これはなにかと
ヤツデ花



 (2022.11.29)