虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト:色々な事物を取り上げます。

浄土宗・浄土真宗とキリスト教

浄土真宗」特集その1(全2回)


 私はなにかの宗教を信仰していませんが(「老荘思想」を宗教と呼べるならそれ)、仏教でいうなら、浄土宗系の浄土宗とか浄土真宗、ないし禅宗系の臨済宗には興味があります。禅宗についてはこれまでもエントリーしてきましたが、浄土宗系宗教について、今回取り上げようと思います。(私は、大学初年度に、自分の「無力さ」から、親鸞浄土真宗の本をむさぼり読んだことがあります。)


 過去ログ

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060505 百丈
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070425 IZAN (潙山)
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20081003 徳山


 浄土宗、浄土真宗は「易行道:いぎょうどう」、禅は「難行道:なんぎょうどう」と言われます。自らに厳しい修行を課すのが「難行道」、それがなく、ただ阿弥陀如来の名を口にするのが「易行道」です。でも、そういった「呼び名を唱える」ということであるという事実のみでは掬い取れない深みがこの浄土宗系の教えにはあるのだと思います。「易しいから、かえって難しい」という側面もあるのでしょう。


 そもそも、浄土宗の萌芽は、インドにありました。浄土宗の根本法典「無量寿経」は紀元前2世紀ころにインドで成立していて、中国では曇鸞(どんらん)が称名念仏を広めていました。そして、日本ではこの系統の教えに感化されて念仏を始めたのが法然(1133−1212)です。


地方武士の子である法然は戒・定・慧の3学を廃し、「専修念仏:せんじゅねんぶつ」を広めようとしました。「ただ一向に念仏すべし」、ということです。そしてそれまで「救われない」とされていた女性へも教えを広げました。そして、出る杭は打たれる、既成宗教(南都北嶺:なんとほくれい)の迫害を受けたり、法然後鳥羽上皇の不興を買い、弟子の親鸞(1173−1262)などとともども、配流されてしまいます。その際には法名を剥奪され、俗名をつけられてしまいます。(建永の法難:1206年)


 そして、2人は後に許されるのですが、この時法然はすでに老境にあり、教えを広めるには至りませんでしたが、親鸞が活躍します。彼は言い様によっては「破戒僧」であり、流罪中、恵信尼と結婚し子供も設け、家庭生活を営んでいました。「半僧半俗」の生活です。

(以上 コンサイス日本人名事典&「保存版わが家の仏教 浄土宗」:藤井正雄 監修:四季社 より)


 彼が挙げているスローガン、「悪人正機論」は、師の法然も唱えていたらしいですが、親鸞こそ、このある意味凄まじいテーゼの発言者としての体験が豊富だったと思えます。
wiki 「悪人正機」より)


悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。


阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。


悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは仏の視点による善悪である。


法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。


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悪人正機の意味を誤解して「悪人が救われるというなら、積極的に悪事を為そう」という行動に出る者が現れた。これを「本願ぼこり」と言う。親鸞はこの事態を憂慮して「くすりあればとて毒をこのむべからず」と戒めている。


ただし今度はこの訓戒が逆に行き過ぎて、例えば悪行をなした者は念仏道場への立ち入りを禁止するなどの問題が起きた事を、唯円は『歎異抄』において批判している。



人間の善悪の相違などはあくまで不完全な人間間の事象に過ぎず、仏の目から見れば全員が不完全な、悪の存在であるので、この苦界から救ってもらうには、阿弥陀如来の願に頼るしかないという教えですね。この教理は、神(およびその子の)キリストを一心に念誦するというキリスト教の教理に似ている気がします。神から見て、人間凡て原罪を背負った悪人なのですから。


 また、これらの宗教の場合、精強な軍隊を持つことも共通しているようですね。織田信長相手に屈強としか言いようのない戦いをした石山本願寺門徒とか、中世のキリスト教国がアラブ世界に仕掛けた十字軍などがその例だと思います。


今日のひと言:阿弥陀如来の誓いは「私を頼る人間を、一人残らず西方極楽浄土に生まれ変わらせるまでは、私は如来にはならない」でしたが、法然たちの見方では「既に阿弥陀如来は成仏している、だから我々が救われることは確定しているのだ」という解釈でした。なんとも見事な、教理の着想です。


なお、以下のHPは法然親鸞の有様をよく伝えていて面白いです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q149456294


追記:浄土宗系が依拠するお経は浄土三部経仏説無量寿経仏説観無量寿経仏説阿弥陀経)の三つです。


『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書)

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浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

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新版 歎異抄―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 歎異抄―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)




今日の料理


@フキ(蕗)の煮もの




2,3年前、初冬の小ぶりなフキを食べられることを発見しましたので、この時期にちょっと食べることがあります。フキの直径が5mm以下、春の直径は10mmほどありますから、食べられる量はわずかですが、ちゃんとフキの風味があります。なお、下ごしらえとして草木灰で数分茹でて鍋が冷めるまで置いておき、最後に灰を落としたフキを砂糖醤油で煮ます。



@三色ササミ



弟作。鶏ササミ肉を水炊きしたあと、1)バジルソース(緑色)2)コチュジャン(赤色)、3)マスタード入りマヨネーズ(白〜黄色)の三色にペイントしたもの。私が「これはイタリア国旗の色だね」と言ったら、弟「「ラスタカラー」にしようと思ったのだけど、マスタードの量が少なかった」とのことでした。