手塚治虫『火の鳥』と輪廻転生とオウム真理教(随想録―58)
「マンガの神様」・手塚治虫には、完成度が高く、その意味するところ深遠な作品が多数あるが、中でも「火の鳥」は、彼のライフワークである、との呼び声が高い。たしかに、私が小学校中学年だった1970年代には連載されていたし、彼が亡くなった1989年でも完結していなかった。
この作品は連作であり、特に鼻が異常に大きなキャラクターが狂言回しのように各話に登場して、ゆるやかに各話を有機的に結び付ける。この人物は、輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返すのだ。そう、『火の鳥』は、「輪廻転生」こそが主人公なのだ。
なかでも印象に残るのは、「鳳凰編」に出て来る「大和の茜丸」だ。彼は仏師(彫刻家)で、寺院の鬼瓦の制作を、「我王」という、かつて茜丸の片手を傷つけ、動かなくさせた男と競わされる。(この我王こそが、上で触れた鼻の大きなキャラクター。)
でも、作品の出来は、我王のほうが遼かに勝り、負けを意識した茜丸は、禁断の手に出る。茜丸は、過去の傷害の事も含め、我王を誹謗中傷する。そして、我王の両手を切断させる。
これで茜丸は「勝った」のだが、宝物殿に置いてあった彼らの作品、我王の鬼瓦から火が出て、宝物殿に駆け込んだ茜丸は焼死する。その刹那、この世の物とも思えない美しいヴィジョンを見た茜丸は、このヴィジョンを再現したいと思う。そこに火の鳥が現れて、「あなたは、もう永遠に人間に生まれ変わることはないのよ」と冷酷に告げられる。
作品としては優れているが、ここで私は輪廻転生の概念を悪用した麻原彰晃とオウム真理教を連想する。彼は「ポア」(殺すこと)という言葉を用い、信者たちに、彼にとって不都合な人物をたくさん殺させたが、ポアによって、相手を「より高い意識レベルの人に引き上げる」と、恩着せがましく嘯いていた。この論理、もし「輪廻転生」という概念がなかったら、こうも欣然と、信者たちは人殺しをしなかったのではないか。林郁夫とか村井秀夫は信者のなかでもかなり年長、『火の鳥』は読んでいたのではあるまいか?「輪廻転生」を前面に出したこのマンガ、麻原彰晃の非道を、理論付けていたようにも思う。
ここで挙げた歌は、1973年から1974年に掛けて、62回TV放送されていた『どっこい大作』のオープニング。これは田舎出身の主人公が、「その道で一人前になる」まで奮闘する「教育的な」ドラマなのだが、「一度限りの、一度限りの人生を」と高らかに歌い上げている。健全な精神の若者ドラマだったと記憶する。「輪廻転生」などという絵空事、ハナから相手にしていない。
(2022.10.22)
今日の7句
ツワブキの
斑と呼応する
黄花なり
(2022.10.30)
シクラメン
地植えで咲けり
初に見る
普通、シクラメンは鉢植えで購入し、春になったら廃棄されると思います。
(2022.10.30)
ジュニパーか
実が待ち遠し
初冬かな
ジュニパーは、西洋ネズの実で、ハーブの一種。でもこれはジュニパーではないことがわかりました。
(2022.10.30)
イチジクが
オリーブになる
果樹園か
10年前にここに来た時には、廃園状態のイチジク園でしたが、持ち主も変わり、オリーブ園になったようです。
(2022.10.30)
休耕田
センダン少なし
ちと意外
むしろ、見放されているのでアメリカセンダングサも、区域内に入らなかったのでしょう。
(2022.10.30)
雨降らず
苔はくすんで
生き延びる
(2022.10.30)
咲いたかや
鱗サボテン
濃いピンク
ちょっと変わったサボテン(正式にはカクタス)です。
(2022.10.30)