虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「フォン・ドマルスの原理」とアリストテレス論理学

以前のブログで取り上げたように、以下の法則を「フォン・ドマルスの原理」と言います。


フォン・ドマルスの原理

神話や統合失調症患者の世界把握パターンを説明する、精神科医フォン・ドマルスが、豊富な症例から帰納した原理。
  通常の認識では、文法的構文の基本「AがBをする」があるとき、主語のAによって、行為者を認識するが、述語のBによって行為者を認識する者がいる、という主張である。この場合、「体をあたあためる」ものを、同じことだからと、「コタツ」と「太陽」を同一なものだと認識するようなことを指す。
 なお、コンピュータ言語の記述・解析にもこの原理は応用できる。

以上はかなり前、私がはてなキーワードにしたものです。


ここに、シルヴァーノ・アリエティという精神医学の大家が「精神分裂病の解釈」1、2巻(みすず書房)の大部の専門書を物しており、この本のなかで「フォン・ドマルスの原理」にも言及しているというので、読んでみたくなり、ただ県内にはこの本を置いている図書館がなく、相互貸借というかたちで県外の図書館から、郵送費700円を私が出す、ということで読めました。ただ、総ページ数1000ページにもなりなんという本なので、「フォン・ドマルスの原理」について記載してある箇所を読んだのです。(なお、アリエティは1981年に亡くなっていますので、現在は統合失調症というのを精神分裂病と呼んでいます。)


 フォン・ドマルスは、1925年にこの原理を定式化・発表したのですが、アリエティは、この原理の妥当性には異論を差し挟んでいません、所与の理論であると見ているようです。


 こんな例が挙げられています。ある少女は、自分が聖母マリアであると思い込んでいて、その論理はこうです。


1) マリアは処女である
2) 私は処女である
3) だから私はマリアである


このような思考パターンをアリエティは「古論理的思考」と呼んでいます。この考え方は、アリストテレス流の三段論法でいえば「誤っていますが」、この少女のなかではアリストテレス的ではない古論理的思考が働いているのです。だから「正しい」わけです。フォン・ドマルスの原理から、述語が同じだから、主語も同じ、というわけですね。


そういえば、戦後の京都で金閣寺を焼いた僧がいましたが、三島由紀夫流にいえば

1) 女は美しい
2) 金閣寺は美しい
3) だから金閣寺は女である

といったような論理展開をして、女=金閣寺を焼失させた、といった具合でしょうか。三島もヤバイ小説を書いていたわけですね。


アリストテレスの論理学とフォン・ドマルスの原理の関係を考察した部分を引用します。

同一律は、AはAであり、けっしてBではないということである。ところが、フォン・ドマルスの原理によれば、BがAの性質をもっていれば、BはAでありうる。


矛盾律によれば、同時・同一場所でAがAであり、かつAでないということはありえない。ところがフォン・ドマルスの原理に従うならば、AとBの共通の性質に着目して、AをAと見て、同時にB(すなわち非A)として見るだろう。


排中律は、AはAであるかAでないかのどちらかでなくてはならないという。つまり中間の状態はありえない。いくつかの主語を圧縮する傾向があるので、古論理的思考はこの排中律を否定するかにみえる。事物はしばしばAとBから合成されたように見える。

    精神分裂病の解釈1巻 332P

どうです、人によっては、アリストテレスの論理学は成り立たないのです。ただ、排中律についての解説は解りにくいですが、「老子」第1章にある「道の道う(いう)可きは、常の道に非ず。」という言葉が参考になるかも知れません。老子の言う根本道徳である「道」は「常の道ではない」という主張ですが、これを「常の道である」と置いて、過剰なオカルトチックな境地に至るのを防止する意味にも取ることができます。(老荘思想と縁の深い禅宗の名僧・趙州さんというひとは、「道とはなんですか?」と弟子に問われ「道か、それなら都にまっすぐだ」と答えています。「禅 現代に生きるもの:紀野一義NHKブックス」参照)


老子は、すべての物に表と裏・・・陰と陽があり、一つの物でも、相反する側面があると主張しているのです。その二面性のなかには、排中律はありません。


そんな訳で、このような「フォン・ドマルス老子」の世界では排中律は成り立たないのですね。とくに老子の文章は、排中律が成り立たない世界をこれでもか、これでもか、と描いているのです。どうも、東洋思想・東洋哲学には、老子と同じような発想をするものが多いのです。


 物理学の1部門「量子力学」でも、光や電子は「粒子でもあり、波でもある」という排中律を超えたところに物質の真のありさまを語っていますね。



今日のひと言:フォン・ドマルスの原理は、古代からの代表的な論理学、特にアリストテレスのそれに、ある意味大きな論理の欠陥を見出しうる原理です。神話であることを捨て去った論理の危うさ。なお、中国哲学陰陽五行論の解釈には、フォン・ドマルスの原理が適用できますよ。


関連過去ログ:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110316
        詩と「フォン・ドマルスの原理



今日の一句


赤城山
冬晴れのなか
あで姿


精神衛生上、見るだけで元気を与えてくれる雄大な山です。その最盛期には標高で富士山位あったそうです。現在でも1900m程度の高さを誇ります。

   (2011.12.05)

老子 (中公文庫)

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