虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

福沢諭吉の言動〜ほんとに啓蒙家?・俗物?

現在の壱万円札の肖像画は、いわずと知れた福沢諭吉です。一般的には、先進的な「偉人」であるとのイメージがありますが、私にはそうは思えません。むしろ「俗物」だと思います。以前エントリーしたブログで、私は、彼が日和見主義者で、幕末の騒乱の埒外にいて、「勝ったほうに付けば良い」といった態度を見るからです(下記過去ログ)。それに、彼の故郷の中津藩士が、藩の呼びかけに応じて、長州征伐するのを、止めさせた経緯もあります。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20051217

福沢諭吉を嗤う(わらう)


福沢諭吉を評価するには彼の主著「学問のすゝめ」を読むのがいいでしょうから、読んでみました。案外この著作は短いものかと思っていましたが、全部で17編あり、例の『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」といえり。』という有名な言葉は、紛らわしいですが、「・・・」内の部分は、ソースはアメリカ独立宣言の一節を意訳したとか、ミルトン、ルソー、モンテスキューの著作が元だという説があります。


この場合、言葉としては良くできたものに思えますが、福沢の独創性は感じられないのです。欧米の学者の言葉の受け売りですから。後年、福沢はキリスト教にも大いに関心を示しますが、ヨーロッパで形成されたこの言葉、キリスト教的には「なぜ人間に上下がないか」ということの理由は「どんな人間も、原罪を背負い、その意味で神の前ではみんな罪人で、だからこそ平等だ」と言うことなのでしょう。


福沢諭吉の場合は、そんなバックボーンがあったとは思えず、これまで続いた江戸時代の身分制度を無効にできる考え方だから、「学問のすゝめ」の巻頭に持ってきたのでしょう。というのも、福沢は若いころ、「毀損するとバチがあたるぞ」とされていたお札の類を、便を足したあとのお尻吹きに使い、「ほら、なんにもバチがあたらぬではないか」と嘯いていたというのですね。神(この場合は紙でもあるか)を貶める。


だから、福沢の「人間平等論」には注意する必要があります。西欧と日本では、事情が違っていたのです。福沢が慶応大学の設立者であったのに対し、新島襄同志社大学を設立しました。この二人の違いは、新島がキリスト者であり、原罪の意識を持っていた宗教人であったのに対し、福沢は俗物だったと思うのです。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20131220#1387493825

新島襄の気概〜同志社大学の設立


「学問のすゝめ」は、さすがに緒方洪庵適塾で塾頭(首席)を務めた秀才らしく、さほど、文脈上問題はなく、とくには彼の問題発言は少ないですが、ある一点につき、批判の嵐が吹きまくりました。彼は、「赤穂義士」たちの行動を国法に背く愚行としたのです。仇討ち→切腹は無駄死にだと。(第7編)


はっきりとは本文で触れられてないものの、この文は楠木正成をも揶揄するように読まれ(もちろん福沢にもその意図があったのでしょうが)、おおいに批判の声があがったのです。たとえ話として「権助という使用人が主人に使いへと渡された1両を無くしてしまい、フンドシで紐を作り首吊り自殺した」と言いつつ権助は素晴らしい、赤穂浪士楠木正成のようだ・・・とやってしまったわけです。私は、その当時の倫理感によれば「赤穂義士」も「楠木正成」も賞賛に値する人だったと思います。その名誉をあえて毀損するのが、福沢の悪い癖です。


そして、福沢諭吉といえば、避けて通れぬ言葉に「脱亜入欧」があります。「遅れたアジアの一員であるより、ヨーロッパに加えてもらえたほうが良い」という主張です。ただ、ちょっと意外だったのは wikiによると(脱亜入欧


欧米列強が植民地戦争を繰り広げていた明治時代初期に、「富国強兵」と共に政府が実行した政策の根幹となった思想である。後の韓国併合満州国建国、日中戦争などアジアへの侵略に至る流れの始まりと見ることがある。


具体化された例として、断髪令や廃刀令1880年代の鹿鳴館が知られている。


1885年(明治18年)に福澤諭吉が書いたとされる論説「脱亜論」は、基本的にこの考え方に沿っていると指摘されることがあるが、これは誤りである。福澤は署名著作・時事新報論説のすべてにおいて「入欧」という言葉を一度も使用していない。さらに福澤が「脱亜入欧」という語句と関連付けられるのは第二次世界大戦後の1950年代以降である。


なお、1885年(明治18年)の「脱亜論」に正対する興亜論は、もともと興亜会を中心に展開された汎アジア主義であり、興亜会には勝海舟福澤諭吉が顧問として参加していた。いっぽう、興亜論は後に日清戦争日露戦争に勝利したのを機に、興亜会を吸収した東亜同文会などを中心に八紘一宇といった、日本を盟主とすべきとする優位性に拠る帝国主義覇権主義への信奉と強行的な侵略の正当化とを背景とするに至った点で性格を異にする。


なんと、福沢諭吉は「脱亜」と言ってはいても、「入欧」とは言っていないのですね。この種の現象は良くあり、老子の「無為自然」という言葉は「老子」には出てきません。「無為」「自然」は別個に出てきます。ある意味、福沢諭吉クレバーな論者です。



今日のひと言:「学問のすゝめ」は、当時3000万人だった日本で300万部売れたとか。大体日本国民の10人に1人が読んだ勘定になります。当時の大ベストセラーだったのですね。今回読んだのは「学問のすゝめ」:土橋俊一校訂・校注:講談社文庫1972出版です。



学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

文明論之概略 (岩波文庫)

学問のすゝめ (講談社文庫)

学問のすゝめ (講談社文庫)




今日の料理


@バジル乗せざるそば





庭で育ち始めたスイート・バジルを海苔代わりにして、蕎麦を楽しみました。シソでも薬味に出来たことで、その近縁のバジルでも出来ると思ったのです。

 (2015.06.28)



シイラ西京味噌漬け焼き





弟作。大振りだけど、スズキ目の魚として、やはり美味しいシイラ西京味噌に数時間漬けて焼いてみました。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20140612#1402568560 参照。

 (2015.06.28)



@ササミ肉のホットドッグ風





弟作。細長い鶏ササミ肉をパンと見立てて、茹でて切目をいれ、湯がいたピーマンを辛子で和えて詰め、ケチャップで味付けしました。

 (2015.06.29)



@マイタケと小松菜の炒め物




弁当の一品にと、マイタケを買ってきて、常備菜の小松菜と炒めました。オイルはオリーブオイルとゴマ油を混ぜたもの。調味料はヤマサの昆布汁とラー油です。

 (2015.06.30)




今日の詩


@SELF-PORTRAIT(自画像)


千円カットの理髪店
鏡に映った俺の顔――


出来そこないの猿のように
KOされて顔が腫れた
ボクサーのように・・・


まるで精気のない
土気色の顔。
醜い・・・だけどこれこそ
まさしく俺の顔だ。


(若い20歳前後だったころは
女性に見紛う顔だった・・・)


この顔を持って
俺はこの世知辛い世を
渡っていくしかないのだ。

 (2015.07.01)




今日の一句



山腹を
緑で描く
赤城山




赤城山中腹の植物群が、綺麗に色付いたのを見て。ただ、正確なシャッターチャンスを逃したので、画像処理して、山が緑色をしているようにしました。

 (2015.06.28)