虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

青木繁〜夭折の画家と日本神話

僅か29歳で亡くなったこの洋画家・青木繁は、日本絵画史上でひときわ輝く巨星だったと思います。美術の教科書には大体掲載されていた「海の幸」など、一目見れば「ああ、あの作品か」と納得する人も多いと思います。Wikiから引いてくると


海の幸(http://blogs.yahoo.co.jp/ririxtukutokextusaku/33105740.html より)



繁は1899年(明治32年)、満16歳の時に中学校の学業を半ばで放棄して単身上京、画塾・不同舎に入って主宰者の小山正太郎に師事した。肺結核のため、麻布中学を中退。1900年(明治33年)、東京美術学校(のちの東京芸術大学)西洋画科選科に入学し、黒田清輝から指導を受ける。1902年(明治35年)秋から翌年正月にかけて、久留米から上京していた友人・坂本らと群馬県妙義山や信州小諸方面へスケッチ旅行へ出かけている。これは無銭旅行に近い珍道中だったことが坂本の書簡などから窺えるが、繁はこの旅行中に多くの優れたスケッチを残している。


1903年明治36年)に白馬会8回展に出品した『神話画稿』は白馬会賞を受賞した。『古事記』を愛読していた繁の作品には古代神話をモチーフにしたものが多く、題材、画風ともにラファエル前派などの19世紀イギリス絵画の影響が見られる。1904年(明治37年)夏、東京美術学校を卒業したばかりの繁は、坂本や画塾不同舎の生徒で繁の恋人でもあった福田たねらとともに千葉県南部の布良(めら)に滞在した。『海の幸』はこの時描かれたもので、画中人物のうちただ1人鑑賞者と視線を合わせている人物のモデルは福田たねだとされている。この前後が繁の短い絶頂期であった。以後の繁は展覧会への入選もかなわず、私生活にも恵まれず放浪のうちに短い生涯を終えたのである。


私も大学一年度の春休み、房総半島に行って布良の付近をスケッチブックをもって歩き、ああ、このへんが青木繁が逗留していた場所だな、と思ったことがあり、大学一年生のときから、彼に関心があったなあ、と思い返します。


彼の特異な点は、古事記とか日本書紀とかの日本神話に題材を採ったものが多いことです。「海の幸」と同じく重文に指定されている「わだつみのいろこの宮」とか「オオナムチノミコト」・「日本武尊」・「黄泉比良坂」など、多いです。このような題材を選ぶことによって、青木は西洋絵画の真似事ではない洋画の確立を目指したのですね。以下、3点、青木の作品を挙げてみます。


わだつみのいろこの宮(1907年)






  海幸彦山幸彦の物語から採られた。左から山幸彦を見上げているのは、彼の妻になった豊玉姫。登場人物の頭部がつくる「二等辺三角形」が美しいです。



日本武尊(1906年)






亡き妻を相模の山頂に立って嘆いたという英雄の感慨を絵にした。



黄泉比良坂(よもつひらさか:平たくいえば地獄のこと・1903年)





空想の産物ですが、女体が折り重なるようにうごめいていて、観る者に一種の恐怖感を与えます。


題材の奇抜さと、青木の空想力が一緒になって独自の絵画世界を成していると思われます。ただ、明治期に亡くなった画家・・・日本画家であるとか洋画家であるとかを問わず、もうちょっと存命期間が長ければ、大画家として令名を永久に馳せられたのにと思われます。青木繁しかり、速水御舟しかりです。惜しいですね。


参考過去ログ  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130723#1374551060

 :速水御舟の炎舞〜梯子の上り下り



今日のひと言:青木繁が日本神話が好きだったのは、やはり明治当時の教育が記紀の学習を奨励していたからでしょうか?それとも、詩人のような視点を青木繁が持っていたからでしょうか?今となっては解らないですね。なお、今回「日経ポケット・ギャラリー  青木繁」の記述と図版を参考にしました。(「わだつみのいろこの宮」はwikiから、「海の幸」は上掲サイトより)




悲劇の洋画家 青木繁伝 (小学館文庫)

悲劇の洋画家 青木繁伝 (小学館文庫)

青木繁 (日経ポケット・ギャラリー)

青木繁 (日経ポケット・ギャラリー)





今日の料理


@パイナップル入りマッシュポテト





弟作。折からパイナップルの缶詰を買っていた弟がリンゴの代わりにマッシュポテトに混ぜ込みました。

 (2014.11.19)



@ラムスライスのオイスターソースあんかけ





弟作。いつものラム肉を茹で、オイスターソースを中心にネギ、カキナのソースを作り、最後に片栗粉を加え、ラム肉に掛けました。

 (2014.11.20)


@水菜2種のサラダ





この時期美味しい水菜と、その変種で茎・葉が赤い水菜(紅法師)をあわせてサラダにしました。使ったのは赤穂の天塩、ゴマ油、スリ胡麻

 (2014.11.20)