ナスと量子力学〜幼児の会話から
☆ 隣の保育園の“つぶやき集”から
子供たちがなすの話をしていて
「なすの色ってむらさきやね」
「うん。でも中は白ねんよ」
「なんで中だけ白なんかね?」
「きっと包丁で切られるときに、びっくりしてしまうんじゃない!」
(4歳児)
私:>「きっと包丁で切られるときに、びっくりしてしまうんじゃない!」(4歳児)
・・・これって、「観測する」という行為によって、対象の素粒子の姿が変わるという、「量子力学」を連想しますね。「切る」という観測の行為がなければ、ナスはたしかに中までムラサキ色なのかも知れません。
Mikuさん:礼さんこんにちは。「切る」という観測行為がなければ、ナスは確かに中までムラサキ色なのかも知れません・・・小さなつぶやきがこれほど深い思索につながるのですね。ありがとうございます。
以上は
http://d.hatena.ne.jp/mikutyan/20130517/1368752134
:「mikuちゃんの日記」より抜粋。
さて、現代物理学の大きな柱である量子力学(りょうしりきがく)は、矛盾に満ちた理論です。すべてのものは、粒子でもあり波動でもあるということから、どっちなんだと考えると、観測する前なら波動、観測したときには粒子になるというのです。実に、「観測」という行為が対象となる物理現象の形を決めるのです。
この矛盾を説明するためにニールス・ボーア(1885−1962)たち(コペンハーゲン学派)は「確率解釈」を打ち出し、現在でもこの解釈で良いとされますが、量子力学の創設者のアインシュタイン(1879−1955)とか、シュレディンガー(1887−1961)たちは、この説明に満足がいかず、いろいろなパラドックスを考えました。シュレディンガーは猫のパラドックス・・・「シュレディンガーの猫」というものを提出しています。(シュレディンガーは、波動方程式の発見者です)
密閉された空間に猫を入れ、放射性元素が「確率的に」崩壊し、放射能を出すとして、そのシグナルにあわせて猫のいる部屋に毒ガスが噴出し、猫は死ぬ・・・さて、空間を開けるそのちょっと以前、猫は生きているのでしょうか、死んでいるのでしょうか・・・それは扉を開けるまで解らず、開ければ、生か死かがはっきりすると言うのです。ではその開けるという観測行為の前、猫は死んでいるのでしょうか?それとも生きているのでしょうか?・・・というパラドックスです。確率的には生きている状態と死んでいる状態が重なり合っているという奇妙奇天烈なものになるのです。
このブログの冒頭に挙げた4歳児の発言、こう見てくると、量子力学の発想と同じことを述べていて、面白いですね。
今日のひと言:アインシュタインは、量子力学の確率解釈について「神はサイコロ遊びはしない」と主張し、あるときボーアと論争になります。アインシュタインは「確率解釈」を覆すような思考実験で挑みますが、なんと、アインシュタイン自身の発見した「相対性理論」によって反駁され、このときの論争はボーアの勝ちになりました。

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今日の詩
@ゴミ回収スポット
ゴミ回収スポットに
間違えた出し方をするものがおり、
回収業者が来た後
散乱したそのゴミを
最寄のわが家が整理するのか、
と思っていたら、
綺麗に掃除する人がいた
捨てる神あり
拾う神あり。
(2013.08.16)
今日の三句
ゴキブリに
足を噛まれて
目覚めけり
よく見ると
ちょいキュートな
ヘクソ葛(クズ)
「ヘクソ葛」と表記したのは、正しくは「ヘクソカズラ」のことです。オナラやウンチの臭いを連想させるその草は、あまり好まれないつる草ですが、花は案外美しく、実は「シモヤケ」の薬になるらしいです。アカネ科の植物。
威儀正し
証明写真
撮る我は
(2013.08.17)