虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

天災は忘れた頃にやってくる?〜寺田寅彦

  寺田寅彦(1878−1935)は戦前の日本の物理学者・随筆家・俳人です。筆名として吉村冬彦ペンネームもあります。彼は夏目漱石と熊本第五高等学校在学中に知り合い、以後漱石に習って俳句の道にも進みますが、漱石から見ても寅彦の存在は面白かったらしく、「吾輩は猫である」という小説のなかに、寅彦がモデルとされる登場人物・水島寒月が登場します。


 物理学者としてはX線解析によるラウエ斑の研究などで名高いですが、彼の真骨頂は、ほかのどの物理学者も注目しない現象に光を当てる点にあるようです。「金平糖:こんぺいとう」というお菓子の「角:つの」が出来るメカニズムを解明しようとしたり、水田から水が引く時、乾きかけた水田の表面に特有のひび割れが見られますが、これと「キリン:アフリカに生息する大型動物」の肌の模様が同じメカニズムが元になっているのでは?と
考察したり・・・


 キリン割れ↓


 このような物理学の本流から見ると「邪道」に映る研究を必死にする寅彦に対して、心無い人たちは「小屋掛けの物理学者」との蔑称を貼り付けました。でも、世の中は物で出来ている・・・その意味では、研究対象がどんな”もの”でも良い訳で、寅彦の「わき道・物理学者人生」は、もっと注目されてもいいのではないか、と思うのです。それに、その科学習慣を伝授された中谷宇吉郎博士が「雪の結晶」の研究でおおいに成果を得ているのですね。


 今、手許に「科学と科学者のはなし  寺田寅彦エッセイ集」(池内了:編・岩波少年文庫)という本がありますが、ここに「津浪と人間」というエッセイも収められています。「津浪」=「津波」のことです。

冒頭は

 昭和8年(1933年)3月3日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片はしからなぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治29年(1896年)6月15日の同地方に起こったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満37年の今日再び繰り返されたのである。


 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去においてなんべんとなく繰り返されている。歴史に記録されていないものが、おそらくそれ以上に多数あったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じことは未来においても何度となく繰り返されるということである。

この文章について、3.11後に書かれたものであると錯覚するかも知れませんが、これは昭和初期に書かれたエッセイなのです。「歴史は繰り返す」のですね。


 このエッセイのなかで、津波に関する備えがだんだん緩くなっていく過程が考察されています。一つに、その被害を体験した人が少なくなっていくこと・・・前掲の引用で、37年というタイム・スパンが備えを緩くするのですね。


 また、被害当初は高台で暮らしていても、「喉元過ぎれば熱さを忘る」でだんだん人びとの生活圏が海沿いにおりてくること。


 それから、災害の記念碑を立てたとしても、道路工事などで目立たぬところに碑が移動させられ、読む人も少なくなる・・・


これらの事情で、津波への備えは緩くなっていくのですね。



今日のひと言:寺田寅彦の名言と言われる「天災は忘れた頃にやってくる」をいう言葉は、今回読んでみた「津浪と人間」の中にも出てきません。Wikipedia では、この名言、寺田寅彦は言っていないということだそうです。いかにも言いそうですけどね。


 こんな例は他にもあって「老子」の「無為自然」、「荘子」の「万物斉同」なども、原典には出てこない言葉です。


 なお、この文集には他にも面白いエッセイがあり、「銀杏の葉が互いに関係なく生えているのに、黄葉と落葉はそれぞれの樹でほぼ同時に起き、垂直に落下する」ということを観察しています。:「藤の実」。この一節は老子の言う「全てのものは栄え茂ったとしても、やがて大地に復帰する」(老子第16章)を彷彿させます。




今日の一句

鵬の
翼ひろげし
皇海山



皇海山(すかいざん)は、足尾地方の盟主たる山。標高2144mの堂々たる山で、稜線がなだらかに下るのが特徴です。それを鵬(おおとり)に見立てました。

    (2012.02.17)

 

天災と日本人 寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫)

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天災と国防 (講談社学術文庫)

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