虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「ケータイ学割」は百害あって一利なし


 2010年秋ころ、NHKの特番(「首都圏ネットワーク」だったか)で、東京都小平市にある私立大学・嘉悦大学でのケータイ電話事情が放送されていました。それによると、学生生活にはケータイが不可欠だそうです。それもDEEPに(深くに)。取り上げられていた女子大生は、メルアドの容量が大きいケータイ(700人分登録できる)でも満足いかずに、1000件分の容量のケータイに買い換えたそうです。


 こんなの、私から見ると、モンスター的な世界です。私が取っておいているメルアドの数は50件もありません。700で足らず、1000という数字になるのは、ある意味天文学的事象です。


 そして問題は、その1000件のメルアドを使ってなにをするか、です。その女子学生は、できるだけ多くの人と繋がっていたいので、ひっきりなしにケータイをいじっているでしょう。講義中は講義に集中するとしても、オフ・タイムはケータイ三昧なのでしょうね。・・・いかにも、中身の空虚そうなコミュニケーションが展開されると思います。


 このような雰囲気の会話を哲学者・ハイデガーは「空談」と呼んでいます。以下。


ハイデガーによれば、現の本質契機(情状性・了解・語り)は、日常では本来性から落ち込んだ状態(非本来性)に頽落しているという。この頽落の3つの指標となるのが「空談」「好奇心」「曖昧性」である。空談とは語りの頽落形態であり、お喋り・井戸端会議などがそれに当たる。人間は他者と語りあうことで、実存の本来的な存在に近づく可能性があるのだが、実際はこの可能性を無駄にし、くだらないお喋りばかりしているというわけだ。また、好奇心は了解における「視」の頽落形態と言えるだろう。了解が新たな可能性をめがけるように、視も何ができるかを見回している。これも認識・判断・推論の基礎となり、実存の本来性へと近づく可能性があるのだが、実際は「何となく面白いもの」に関心を寄せているだけなのだ。最後に曖昧性だが、これは了解自体の頽落形態であり、社会問題など、一見大事なことを了解し合っているようでいて、実は他人事としか考えていないことが多く、自分の新しい可能性への企投は隠蔽されているというのである。

ではどうすれば頽落から脱し、本来的な生に立ち戻ることができるのか。ハイデガーはその答えを「死の不安」に見出そうとする。情状性の中で最も根本的な気分は「死の不安」であり、人間は死の不安に直面した時、自分が孤独であり、同時に自由でもあることを知るというのだ。この時、世俗的気遣いから切り離され、何を成すべきかが自分自身に委ねられることになる。つまり、本来的な生き方を選ぶ可能性が開かれるというのである。

http://yamatake.chu.jp/03phi/1phi_a/2.html

Yamateke’s psychology site より


 まあ、実存主義の哲学者であったハイデガーから見れば、実存というものさえ意識せずに無駄話をしている女子大生は、「空談」以外のなにごとをもしていない、というように評価されるでしょうね。私がここにクローズ・アップした女子大生以外の学生も、似たりよったりという気もします。


 かれらの心性は「仲間が欲しい・一人になりたくない」という辺りにあるのかも知れないですが、それは勉強する時間を奪い去り、芯のない卒業生を量産することになるのでしょう。その点、なにも嘉悦大学でのみ起きているのではない現象かと思います。(なお、この大学は男女共学のようですね。ならば男子学生もやっぱり、メルトモと繋がっていたい・・・?)


 勉強が本分である学生(小学生、中学生、高校生、大学生)に、ケータイを使い放題にさせるというのは、以上述べた理由で、将来の日本のレベル・ダウンにつながると思います。ケータイ学割なんていうシステムを考えた人は頭のよい人なのかも知れないですが、それはやってはならない制度だと思うのです。「学生には、ケータイ学割りは要らない」。「ケータイ学割は百害あって一利なし」。



今日のひと言:本来の学割とは、鉄道の定期券の学割のように、必須の勉強をする学生の経済的負担を軽減するという意図で行われたものです。そこへ行くと、ケータイ学割は、必須の勉強のじゃまになる行為を助長するものであり、そして、しっかり料金は業者のフトコロに転がり込むものですね。そして日本人の愚民化に大きく手を貸すのです。


それから、ちょっと話題がそれますが、いわゆる「電子辞書」も役にたたないアイテムです。某社の電子辞書で「オジギソウ」を引くと「押し切る:break down」と出てきて、使い物になりません。そこへ行くと、紙の某和英辞書では「sensitive plant 」(感じやすい草)あるいはほかの和名で「含羞草:はじかみくさ、がんしゅうそう」と記されています。辞書は、紙のものを小まめに引くのが良いのです。


ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)

ハイデガー『存在と時間』の構築 (岩波現代文庫―学術)

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)

ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)


今日の詩


田畑の畔一杯だった
野蒜(のびる)を全滅させた
農家さんよ


あなたはビールの良きツマミを、
一財産を自ら失ったのだ
何とも愚かな人だ、あなたは!


天皇陛下
野蒜を栽培していると言うのに・・・
           (2011.06.29)