虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

椎名林檎の「二人ぼっち時間」・・・ダイヤモンドとしての音楽

 NHK「みんなの歌」では、2ヶ月に一回、更新されますが、長い曲で5分、短い曲2曲で5分の構成で放送されています。2009年6,7月のラインアップを見ると・・・


 遊佐未森(ゆさみもり)さんの「I’m here with you」が5分の大曲、ムッキー手塚さんの「無敵のじいちゃん」と椎名林檎(しいなりんご)さんの「二人ぼっち時間」が抱き合わせになっていました。


 この期の3作品はどれも出来がよいと思われますが、椎名林檎さんの曲がとくにハートにきました。


論理的にはなにを歌っているかは不明ですが、彼女の「女性としての感性」がうまく発揮できた形になっている気がします。「みんなの歌」のテキストを取り寄せて見てみても、やはり歌詞が解かりにくいのです。この特徴は、彼女のほかのアルバムでも同じです。論理的というより感性的です。


 過去、「勝訴ストリップ」などある意味「いかがわしい名称の」CDなどを出していますが、これも彼女の感性が作ったCDなのでしょうね。「二人ぼっち時間」が黄色いダイヤモンドに例えられるとすれば、これらの曲は黒いダイヤモンドであるとのイメージがあります。(もちろん、石炭のことを指すのではなく、本当に黒いダイヤモンドのことです。)「二人ぼっち時間」は、「どんなふたりか」というと、普通なら恋人を思い浮かべますが、この曲では、少女と父親です。(と、椎名さんが自分で解説していました)なるほど、子供向きに作られているのですね。私は「二人ぼっち時間」で初めて椎名林檎さんと出会い、「勝訴ストリップ」「加爾基 精液 栗の花」「三文ゴシップ」の新旧3枚のCDを聴きましたが、この黒いダイヤモンド、黄色いダイヤモンドの発想は私のなかで強まりました。


Wikipeiaによると、彼女は、先天性食道閉鎖症の手術の後遺症で、体の左右に均等に力が入らなくなってしまい、幼少のころからそれまで10年ほど学んでいたバレエとピアノをあきらめざるを得なくなったというエピソードがありますが、この苦しい体験が、彼女に与えた影響は計り知れないように思います。


 それで、何で今、椎名林檎さんを取り上げたかと言うと、今日8月1日でNHK「みんなの歌」8、9月の放送に入れ替わり、その意味で過去の作品になってしまうからです。その前にエントリーしとけば良かったと思うのです。ちょっと残念。まあ、CDはショップで売っていますし、取り寄せたければNHK出版(0570−000−321販売)に問い合わせればいいと思います。「黄色いダイヤモンド」をゲットしましょう!!

 
ところで・・・

川上未映子さんは、芥川賞を受賞するまでは音楽活動もしていて、ミニ林檎でしたが、あれほどの凡作(「乳と卵」)で賞がもらえるなら、椎名林檎さんが小説を書けばまちがいなく芥川賞をもらえるでしょうね。

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080602
「現代の樋口一葉」(川上未映子)は4コママンガと同等。



と、言うのも、これまでの芥川賞受賞者でミュージシャンという括りを、男性に限って適用すれば、ミュージシャンの「町田康」さん「辻仁成」さんは2人とも芥川賞を受賞しています。これは無視できる事例ではなく、表現者としての方向性の定まらなかった「川上未映子」が芥川賞を受賞したことにより作家として認知される、という結果になったのだと思います。


 以上書いたように、小説と音楽の歌詞の才能の相関性は厳然としてあると思います。他にも、作詞家・中西礼さんという例もありますね。(←彼は直木賞だったか)「千の風になって」を訳し、作曲した芥川賞作家の新井満氏もそうですね。



今日のひと言:女性の場合、一筋縄ならぬ感性の持ち主が多く、現代のように、男性が元気のない世の中では、ひときわ光るようですね。