虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

身も蓋(ふた)もない凸凹の考察:倉橋由美子の論理

身も蓋(ふた)もない凸凹の考察:倉橋由美子の論理

私が倉橋由美子(小説家、随筆家)の名に初めて触れたのは、絵本「僕を探して」(シェル・シルバシュタイン)の彼女の手になる翻訳&解説のユニークさに感心したときのことです。この絵本は、円になるには欠けた部分があり、カケラを求めて転がり旅する主人公が、欠けている部分をぴったりフォローするカケラと出合い、合体しますが、あまりにスムーズに転がってしまうので、やはり欠けたままで良いとコンビを解消してまた欠けたままの状態に戻る・・・この結末を倉橋さんは「このような結末、大人のおとぎ話として必要なのだ」といったような解説を加えていたのですね。ここいらが大層気に入ったのです。



倉橋由美子さん(本名:熊谷由美子)、1935-2005。

以下の引用はwikiより前半生、苦闘の記録。

高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に歯科医の長女として生まれる。私立土佐高等学校を経て、精神科医を志し公立医学部を受験するが失敗。母は浪人に反対するので京都女子大学国文学学科に籍を置く。医学部を再度受験するが失敗。これ以上の浪人は許されず、日本女子衛生短期大学別科歯科衛生コースに入学。上京し、大学構内の寮に入る。6畳に4人の生活であった。大学を卒業、歯科衛生士国家試験に合格する。その後、歯科衛生士としてアルバイトしながら東京に留まり、明治大学文学部文学科仏文学専攻に入学して斎藤正直の指導を受け、中村光夫に学んだ。


在学中に明治大学学長賞を狙い『パルタイ』を応募。卒業論文ではサルトルの『存在と無』を取り上げた。帰省中に大学からの電報で『パルタイ』が学長賞に決定を知り、上京。在学中の1960年、『明治大学新聞』に小説「パルタイ」が発表され、明治大学教授の平野謙が『毎日新聞文芸時評欄でとり上げて注目される。「パルタイ」は、『文學界』に転載され昭和35年度上半期芥川賞の候補となった。同大学大学院文学研究科に進学すると同時に作家活動を開始する。『文學界』や『新潮』などに短編作品を次々と発表する。続いて『夏の終り』で芥川賞候補となったが、受賞はしなかった。同年、短編集『パルタイ』を上梓し、翌年、女流文学者賞を受賞。1963年、田村俊子賞受賞。「第三の新人」以後の新世代作家として石原慎太郎開高健大江健三郎らと並び称せられ、特に作風や学生時代にデビューしたという共通点のある大江とは比較されることが多かった。


さて、件の凸凹の考察、『精選女性随筆集三 倉橋由美子』(文藝春秋)に収録された『ある破壊的な夢想――性と私――』に出てきます。こんな感じです。――

 愛情とか、結婚とか、いろんな意味づけを剥ぎとってみますと、男と女の性的関係は、凹型の存在が凸型の存在を自分のなかにいれて食べることであり、凸型の存在が凹型の存在を充たす関係だといえるでしょう。これはまさに意味づけしがたい、それゆえに正視するにたえないような事実なのですが、このことに崇高な価値を与えて美化したり、夫婦のいとなみをしいて日常生活のなかに押しこんだり、たんなる生理的現象や生殖本能に還元したり、愛情という包装紙で包んだりする欺瞞的習性のおかげで、人間はおめでたく生きていられるわけです。


女性にとっては、ある男性と性的関係を結ぶことは自分が他者にとってどのような存在であるかを知らされ、その存在の符号が「女」であることを宣告され、それを受け入れて女になることです。このとき、他者の侵入を許すことによってみずからの肉のなかに他者の自由をとりこにすることが、「愛する」という存在のしかたであると定義されるべきでしょう。男とは「愛される」ものです。この関係は、もちろん男と女のあいだにとどまるものではありません。男色、サディズムマゾヒズムなどは、このような人間存在の原型からでなければ説明できない現象です。

 172P-173P


凹(女)がその肉体の中に凸(男)を引き込み「食べてしまう」=「愛する」というセックスの実相が記述されているわけです。この喩え、則物的でありながら、私はこの喩えにはむしろ大いに性的なイマジネーションが湧いてきます。「正視するにたえない」どころか、私は面白いと思います。


そして、「みずからの肉のなかに他者の自由をとりこにすること」は、漢字の語源を辿っても行き当たる事実です。「必ず」の「必」という字は「棒を縛って自由を奪い、がんじがらめにして真っ直ぐにすること」という成り立ちです(藤堂明保:『女へんの漢字』)。「棒」がペニス、「縛るもの」がヴァギナです。ちなみにヴァギナは(ペニスを「刀」に喩えると)、それを収納する「鞘:さや」という意味をもっています。そのまんま。この場合、ヴァギナはペニスの補完物と言った感じですが、倉橋さんの論では、男は「愛される」対象であり、女が主体的に「愛する」のですね。ああ、なんて女性の強いこと。(凹であるヴァギナはむしろ凸であるペニスを補完物にするわけです。)


このような話題に関連して思いだされるのは女優:オリビア・ハッセー布施明の関係です。化粧品のCMの出演のため、日本にやってきた彼女、CMソング:「君は薔薇より美しい」を歌った布施にぞっこんになり、ついには国際結婚に至ったのですが、布施から子種を授かり男の子を設けます。その後離婚。冷めたのでしょう。結果的には優れた凸を食べる凹というイメージを明示しています。優れた凸の子種を奪い、そのDNAを取り込んだ子供を作れば、凹にとって凸は「要らない」のですね。



今日のひと言:通常なら、男が女に働きかけ、「男が女を愛し、セックスもリードする」という認識が幅を利かすと思いますが、倉橋さんによると「女が男を愛し、セックスをリードする」ことが実相であろうとされていますね。常識を疑ってかかる倉橋さんの論は面白いです。凸凹論、自然界ではこのような凹が凸を餌食にする実例がありますね。セックスをした後、雄が雌に食われるカマキリ、サソリ、雄性の細胞液が雌性の細胞に全て流れ込み、雄の体が空っぽになるアオミドロ・・・



iirei.hatenablog.com




大人のための残酷童話 (新潮文庫)

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新装 ぼくを探しに

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今日の一品


@レンコンハンバーグ・デラックス


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弟作。すりおろしたレンコンに、シーチキン1缶、マヨネーズ、小麦粉、塩、刻みネギを入れて捏ね、オリーブオイルで炒めます。チーズは入っていないのに、チーズハンバーグのような風味。感動したので、私はこの料理に、デラックスという称号を与えました。

 (2019.01.31)



@聖護院カブのお浸し


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庭で栽培していた聖護院カブ、大小あわせ茹でて、根と葉が混在するようにしました。味は清々しい。

 (2019.02.01)



@里芋・牛蒡・椎茸の煮物


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特別ではないオーソドックスな料理。剥いた里芋を塩もみにして茹でこぼし、牛蒡(ゴボウ)はササガケにし水に晒します。椎茸は栄養価を上げるため日に晒します。鍋にごま油を敷き、里芋を炒めて水を入れ、牛蒡、昆布、椎茸を投入。砂糖・醤油で味付けし、最後にオレガノ(ハーブ)を加えます。

 (2019.02.02)



@鰆(サワラ)のチーズ・コチュジャン焼き


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弟作。鰆の切り身に切れ込みを入れ、サイコロ型のチーズ、コチュジャン、塩で味付けしました。

 (2019.02.03)





今日の五句



西日浴び
同化するなり
柑子(こうじ)の実


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柑子はだいたいミカンのこと。

 (2019.01.31)



雨あがり
ともども光る
月・金星


 (2019.02.01:朝)



二十羽も
鴨が集まり
謀議する


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 (2019,02.02)



羽根広げ
巨きく(おおきく)見ゆる
ハクセキレイ


ハクセキレイは小鳥です。

 (2019,02.02)



葉ボタンの
キャベツなれども
咲き誇る


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 (2019.02.03)