虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

放浪の俳人・種田山頭火


 「分け入っても分け入っても青い山」

という俳句で知られる「種田山頭火(たねだ・さんとうか)は、俳句のなかでも、5・7・5の基本形と季語を廃し、より自由な句作を目指した運動の担い手でした。師匠は荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)で、同じく放浪の俳人であった尾崎放哉(おざき・ほうさい)と同門です。いま、手元に「山頭火句集」(村上護:ちくま文庫)があるので、めぼしい句を拾い上げてみます。


 「雪空の最後のひとつをもぐ」(44P)
 「あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ」(54P)

 旅の途中で出会った自然物をよみこむことが多いです。

 「重荷を負うてめくらである」(97P)



 「水に雲かげもおちつかせないものがある」(135P)


この辺の句は意味深です。山口県出身の種田山頭火(本名・正一)の母は、山頭火が10歳のとき、自宅の井戸に飛び込んで自殺したという、彼にとっては生涯にわたる深い煩悩のもとになったといえる事実があります。そしてまさに母への慕情は、くりかえし詠まれます。

 「うどん供えて、母よ、わたしもいただきまする」(193P・母の47回忌)
 「たんぽぽちるやしきりにおもう母の死のこと」(260P・母の第49回忌)



そして、おそらくは浮気によって母を死に追いやった父についても


 「だんだん似てくる癖の、父はもういない」(260P)

と、詠っています。



思えば、早稲田大学を中退し、家業を継いだが破産し、妻子を残して出家して、全国行脚・・・というか乞食行へと、人生がめちゃくちゃになってしまった彼、2つの宿願があったそうです。そのひとつは「自分にしか書けない句を残すこと」、もうひとつは「ころり往生」だったそうです。実際、二つの宿願は叶えられたようです。いま、私が紐解く句集があり、本人も酒の飲みすぎで「頓死」するからです。私(森下礼)は、山頭火のように、母を失った経験があるので、山頭火に親近感を覚えます。私の母は、大阪から風土の厳しい北関東のD県に、会社工場長の妻としてやって来て、躁鬱病(そううつびょう)になり、私が中学1年生のときにものすごい発作(騒動)を起こし、精神病院に強制的に入院させられ、私が大学卒業後の1986年に儚い一生を終えたのです。緩慢な自殺といえるでしょう。


今日のひと言:「分け入っても分け入っても青い山」という山頭火の一句、「いまだ悟り」の境地に至ってない、と言うように、私は読み解きます。青を発見すれば、その時点でそれ以上、山に上る必要はないからです。そこがゴールです。でも、煩悩の人一倍あった山頭火は、よりふかく道をたどるのでしょう。母、そして自分の鎮魂のために。なお、同時に掲載されている彼の随筆は、彼のこころの軌跡をたどる良い資料となっています。


 私の過去ログ:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060505:独座大雄峰
に出てくる、禅僧・馬祖と、その弟子・百丈の問答を聞いていれば、もう悩むこともないのでしょうが。「飛んでいく鴨はどこへ行くか?」との馬祖の問いかけに対し、「あっちに」と答えかけたら、馬祖は百丈の鼻をつまみます。「あ痛ああ」と叫ぶ百丈。「どこへも行ってないだろう」という馬祖。このやり取りで百丈は悟りました。鴨と百丈の関係を山頭火に適用すると、青い山と山頭火の関係になります。こころの持ち方が両者で異なるのです。どっしりと落ち着くのか、まだ歩みを止めないのか。彼の場合、悟りの一歩手前で足踏みしているようです。逆に、私から見るに、百丈の逸話の解説として、「分け入っても分け入っても青い山」は利用できそうです。



 マンガに「まっすぐな道でさびしい――種田山頭火外伝」という作品があり、いわしげ孝が描いています。講談社:モーニングKC・全5巻。


山頭火句集 (ちくま文庫)

山頭火句集 (ちくま文庫)

尾崎放哉全集

尾崎放哉全集

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)