虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「君」と「お前」(散文詩)

 私が幼いころの無二の親友だった男の話です。


お互いを「もりった」「まつった」と呼び合い、よくお互いの家に遊びに行った間柄です。


「まつった」の実家は「雑貨商」であり、私(もりった)が彼(まつった)の家に行った際、私は駄菓子を買い、店主(まつったの父)が店の奥に行ったさい、「手間を省いてあげようと」レジに手を掛けたとき、店主に見咎められ「何をする!お前、手癖が悪いぞ」と叱られ、遊びもそこそこに「まつった」の家をあとにし、以後「まつった」とは疎遠になりました。(小学校低学年のころのお話です。)


 そして、成人してからずっとあとに、私は「まつった」とTELで会話をすることがあり、あのことについて話したところ、彼は「あのオヤジならありそうだ」と言っていました。


 それからまた何年かして、「まつった」にTELしたところ、こんどは、私のいまは亡き母が、家に友達を上げる際、「足を洗わせていた」という話を「まつった」から聞きました。


お互いの両親に振り回されつつ私たちは交友していたというわけですね。その時のTELでは、話題が「音楽」になりましたが、お互いを、私は「君」、彼は「お前」という人称代名詞で通しました。


 私から見て、「まつった」は「お前」ではなく「君」というのが妥当に思えたし、
 彼からは「もりった」は「君」ではなく「お前」というのが妥当に思えたのでしょう。


この食いちがいは何なのか、気になるところです。小学校低学年以降、接点がなかった私たちは、それぞれ違う道を歩んできたことは確かなようです。お互い、誠意を尽くして会話が出来たのだから、それはそれでいいのかも知れませんね。


人称詞と敬語―言語倫理学的考察

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人称代名詞 (講談社文芸文庫)

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