虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

二組の師弟〜緒方洪庵・大村益次郎と吉田松陰・高杉晋作

 いずれも、日本史上名高い師弟です。両組み合わせの比較をしてみます。


緒方洪庵は、岡山県の武士の息子として生まれましたが、生来の体の悪さから、医者を目指して蘭学(オランダ医学、その他)を修めます。その彼が大阪に来て、開いたのが「適塾」で、蘭学を究めようという若者が各地から集まりました。村田蔵六(のちの大村益次郎)も「適塾」の門をくぐり、成績順に決まる席の争奪戦を勝ち抜き、塾頭になります。彼の蘭学のレベルは、師・洪庵が「もう、君に教えることはなにもない」と脱帽しているほどです。




 吉田松陰は、長州(今の山口県)の軍学講師の家の出で、5,6歳のころには藩主(毛利敬親)に「孫子の兵法」を講義するまでになった、長州藩期待の若者だったのですが、ペリーの黒船に乗って出国しようとしましたが、断わられ、長州の野山獄につながれるようになります。


 その後、自宅において私塾を開きます。松下村塾(しょうかそんじゅく)です、あ、より正確に言えば、松下村塾は以前からあり、松蔭は3代目くらいの塾長でした。
 ここで、彼は後後まで活躍する人材を多数薫陶します。特に大きな存在は高杉晋作でしょう。松蔭は、高杉を発奮させるため、高杉がかねがねライバル視していた久坂玄瑞の詩をほめ、高杉の詩をけなします。これで案の定、高杉は発奮し、有為の人材になっていくのです。



 緒方洪庵の教え方は、まるで寄宿舎つきの大学教育です。洪庵は、かなり状況に即してシステマチックに教えていたようです。オランダ書の講読会、その際の理解度によって席順が決まります。そして、優秀な者は、独り立ちして「適塾」をあとにしたことでしょう。彼自身は、あくまでアドバイザーでした。「蘭学」をどう活かすかについては、卒業生に任せたのです。



 吉田松陰政治犯であり、できることは限られていましたが、そのできることの一つが教育でした。まるで、寺子屋をやっているようなものだったと言えるでしょうか。ただ、いかにも思想家らしく、「尊皇攘夷」思想に、まるで「火の玉」に投げつけるかのように、弟子たちを導きました。
  
 大学のゼミのような感じと言っても良いでしょう。

 高杉晋作大村益次郎の2人は長州の奇兵隊などに関わり、新政権(明治政府)実現まで、さまざまな影響力を残したのです。持つべきものは良い師、良い弟子?



 なお、今回のブログは「花神」「世に棲む日々」(いずれも司馬遼太郎)と、NHK大河ドラマ花神」(1977年放送)に拠って書いています。なお、同時代の福沢諭吉について過去ログで槍玉に挙げています。

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20051217福沢諭吉を嗤う



また、「花神」におけるキャスティングは
緒方洪庵:宇野重吉  大村益次郎中村梅之助
吉田松陰篠田三郎  高杉晋作中村雅俊


と、豪華キャストになっていますね。



今日のひと言:政治的に疎まれたという意味で、吉田松陰は中国の孔子に似ていたと思います。その孔子も多くの有為な弟子を多数輩出したのです。


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