虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

物悲しいイスラエルの国歌 

 
思い立ち、図書館から借りてきて、世界各国の国歌を収めたCDを聴いていて、一番印象に残ったのが、イスラエル国歌のハティクヴァ。


大体の国歌は、おおむね1分くらいの演奏時間ですが、ハティクヴァは1:30くらいでちょっと長いです。「君が代」(日本)が55秒、「星条旗よ永遠なれ」(USA)が80秒、「ラ・マルセイエーズ」(フランス)が60秒、中華人民共和国が44秒と、だいたい1分以内に収まるわけですから。ただ、アルゼンチン国歌は例外で、4分以上あり、まるで「オペラの序曲」のようです。


 特に私が印象深く思ったのは、その物悲しさです。チェコの国民的音楽家スメタナの「わが祖国」に出てくる「モルダウ」をずっと暗くしたような曲想。もし、イスラエル人のプロボクサーが世界タイトルマッチに登場するとして、この曲を聴いたら、戦意喪失するかもしれない、暗い曲です。また、フランスのラ・マルセイエーズのように、行進曲の体裁を取っている国歌も多いですが、ハティクヴァはまるで葬送曲のようです。


 でも、このハティクヴァには、人の心を魅了するなにかがあるようです。そこで、Wikipediaより引用。



ハティクヴァ(ヘブライ語:הַתִּקְוָה ; Hatikvah、希望の意。)は、イスラエルの国歌。
この曲の歌詞は、1878年ルーマニア北東部の都市ヤシにて、ガリツィアの詩人ナフタリ・ヘルツ・インベル(Naftali Herz Imber、1856年 - 1909年)によって作られた。 音楽は、モルダヴィア民謡「Cucuruz cu frunza-n sus」を基に、サミュエル・コーエン(シュムーエール・コーヘーン、Samuel Cohen)が編曲し、更に1897年に作曲家パウル・ベン=ハイムによって管弦楽曲に編曲された。
1897年の第1回シオニズム会議(バーゼル会議)でシオニズムの賛美歌とされ、1948年のイスラエル建国の際に、同国の国歌となった。

@ナフタリ・ヘルツ・インベル - ガリツィア・ゾーロチウ出身のヘブライ語詩人。米国でアルコール中毒で死亡した。原作と現在の国歌は少し違っている。2番まで歌詞があるヴァージョンもある
サミュエル・コーエン - ベッサラビアモルダヴィア)出身。リション・レツィヨンに帰還した
最後の2行は繰り返す。母音符号付き。
כָּל עוֹד בַּלֵּבָב פְּנִימָה
נֶפֶשׁ יְהוּדִי הוֹמִיָּה
וּלְפַאֲתֵי מִזְרָח קָדִימָה
עַיִן לְצִיּוֹן צוֹפיָּה
עוֹד לֹא אָבְדָה תִּקְוָתֵנוּ
הַתִּקְוָה בָּת שְׁנוֹת אַלְפַּיִם
לִהְיוֹת עַם חָפְשִׁי בְּאַרְצֵנוּ
אֶרֶץ צִיּוֹן וִירוּשָׁלַיִם
訳 (概略)
心の中に、内に、
ユダヤ教徒の魂が呼んで、
そして東方の岸へ、前@へ、
目がシオンを目差している限りある――
我々の希望はまだ失わなかった、
2千歳の希望は、
我々の国で自由の民族となる、
シオンとエルサレムの国!



 @ 古代ヘブライ語で、「東」と意味が同じである。


思えば、ユダヤの民が祖国のない民族になったのは、ダビデ王が、部下ウリヤの妻(バト・シュバ)と不倫をやって、その部下を死に追いやってバト・シェバを娶ったことにさかのぼるでしょう。かれらの息子、ソロモン王の代でイスラエルは隆盛を極めますが、その統治の終わりころは国運が下がりはじめるのです。そして2000年にもおよぶ流浪の民の歴史において、いくたの迫害を受けた彼らからすると、国家は「血であがなったもの」という意識も強いでしょう。それにしても、一説に(岸田秀)、個人にトラウマがあるように、国家にもそれがある。だからイスラエル建国後のユダヤ人は、周囲のアラブ人に対して過酷な態度で臨むのだ、と言うこともできそうです。



今日のひと言:世界標準で見ると、超スローテンポで行進曲らしくない「君が代」も相当変わっているようです。「ハティクヴァ」ほどではありませんが。

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世界の国歌

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