私の母は泥棒の母だった(散文詩)
*私の母は泥棒の母だった(散文詩)
すなわち、私が泥棒だったということです。母は泥棒の母で潔癖症でした。私の小学生低学年のころ、私には恐ろしいことが起きました。
私の無二の親友で、生家が駄菓子家の長男だった人のところによく遊びに行っていました。ある日、私は駄菓子を買ったのですが、店主(彼の父親)は奥に用があり、引っ込んでいました。私は「レジの手間を省いてあげよう」と考え、レジに手を出したところを店主に見咎められ「何をする!お前、手癖が悪いぞ!!」と叱られました。そんなこともあってスゴスゴと友人宅から帰ってしまい、以後友人とも疎遠になりました。
しばらくたって父にそのことを話したところ、父に痛くどなりつけられてしまい、私は涙に咽びました。こども心に「世の中では善意も悪意にとられるのだな」と思いました。
このような話がフランスの文豪アナトール・フランスにもあったのを知ったのは大学に入ってからです。フランスは、常々廻りから「懺悔(ざんげ)しろ」と言われましたが、彼には「懺悔:行った悪事を悔い改めること」するべきことが一つもなく、考えあぐねた彼は「そうか、悪いことをすればいいんだ」と悟るというお話でした。
さて、泥棒の母である私の母は、先にも触れたように潔癖な女性で、さきに述べた友人を私の家に入れるのに、必ず「足洗い」を命じたとのことです。これは最近彼に電話した際、打ち明けられて驚いたことでした。こうなると、私の親も彼の親も、どっちもどっちです。
子供同士の交遊関係にも、大人の世界が根を張り巡らせているのでしょう。私たちは大人の世界のルールを厳しく教えられたのではありましょうが、どっちの親も子どもに不信感を持っていて、子どもの「伸びる芽」の可能性には思いいたらなかったのでしょう。お互い、かけがえのない友人を失わせたのですから。それから、「悪事」の定義はおとなが一方的に決める、ということも解ったわけです。
今日のひと言:いったん、大人社会というものが壊滅したとするなら、どうなるか、子どもたちはどうなるか、興味深いものがあります。

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