虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

天皇を影とした男・・・山県有朋(やまがた・ありとも)


 往年のNHK大河ドラマ・「花神:かしん(1977年)」に登場する人物で、「これでは、日本の将来に悪影響がある」と感じられた人として、山県有朋山縣有朋)が挙げられます。ドラマの中で、高杉晋作がクーデターを呼び掛けたとき、「俺の奇兵隊をどうする積もりなのか」とつぶやく場面がありました。当時軍監の山県狂介(当時の名乗り)には、預けられた長州藩の兵士たちを私物化しようという悪意が垣間見えるのです。私は、第二次大戦中の戦時体制には興味があり、いろいろ文献を読んでみましたが、どうにも山県有朋が臭いと思い、彼が絡む話の本を読んでみました。
 
山県は、運にも恵まれました。先達の高杉晋作の病死、大村益次郎の暗殺で、棚ボタ式に長州の軍事の最高実力者にのし上がり、また、政治の部門でも、西郷隆盛大久保利通が相次いで死去し(戦死、暗殺)、のこすライバルは伊藤博文くらいになったのです。

山県が決めた制度で、事後もっとも日本国のあだとなったのは、

1) 統帥権(とうすいけん)
2) 大臣現役武官制

の2つでしょう。


1)は、軍参謀本部の作戦立案は、議会をすっ飛ばして天皇の裁可をもらえれば、議会がなんと言おうと押し通す、という特権です。そして軍令を、天皇の直接の意向であるとしたのです。これを悪用した昭和の参謀たちが、満州事変、シナ事変と戦争を拡大させたのです。このような事態に昭和天皇は憂慮していた、とあります。
2) も大変なことで、内閣が紛糾した際、陸軍(ないし海軍)は、大臣を辞めさせて、かわりの現役軍人を出さなければ、閣僚が揃わないので、内閣は総辞職せねばならないことになり、政治を軍部のいいようにできるのです。



以上2項目は、海軍、陸軍ともに、活用し、泥沼のような戦争地獄に日本国を導きました。
あるエスニック・ジョークにありますが、「世界一弱い軍隊」として「中国人の将軍、日本人の参謀、イタリア人の兵卒」が挙げられるそうです。その心は・・・中国人は地位のみを大事にして、ろくに作戦を遂行できない、日本人の参謀は、無謀な作戦しか立案できない、イタリア人の兵卒は臆病である・・・と言った意味でしょうね。



山県有朋は、日本国家をひとつに纏めるために、天皇の神格化をおし進めました。「現人神:あらひとがみ」、兵士はその現人神への忠節を持つように教育されます。その際、統帥権という言葉は天皇の意向をしめすものとして、有効に活用したのです。その力をもって所信を貫く・・・むしろ、天皇は山県の影だったのかも知れません。日本国軍は、彼の私兵だった、とでも言えましょうか。「奇兵隊」のように。
 彼の変っているところは、庶民に近い足軽の出なのに、国民の意見を代表する自由民権運動とか帝国議会には冷酷な態度をみせた点です。彼にとっては守るべきは「日本陸軍」であったことは確かなようです。なお、ドイツ式の警察制度の導入、治安警察法も発布しています。また、現在の役人の「天下り」の根拠となる高等文官試験制度(国家公務員採用試験)を創始したのも、元をたどれば山県に行き着きます。


 (参考文献)「山県有朋半藤一利PHP研究所

 半藤氏は、山県有朋日本陸軍を滅ぼしたと評しています。海軍もそうでしょうね。



今日のひと言:山県有朋国葬になったけど、人気はない彼、参列者は少なかったということです。その20日ほどまえに亡くなった自由民権運動の柱・大隈重信の葬儀には、70万人からの参列者が来たそうです。


山県有朋 (PHP文庫)

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原敬と山県有朋―国家構想をめぐる外交と内政 (中公新書)

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