虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

俗悪な水戸黄門・水戸黄門も貝原益軒も・・・

 芥川龍之介はその著書・警句集侏儒の言葉(しゅじゅのことば)」のなかで、儒学者貝原益軒(1630−1714)のエピソードを取り上げています。
 ある時、益軒が乗り合い舟に乗り込んだところ、血気盛んな若い学者の卵が、自説を、乗り合いになった皆の前でおおっぴらに披露しました。さて、舟から降りるときに姓名を名乗りあった際、益軒も自己紹介し、その名を聞いて学者の卵が仰天して、大学者への先の無礼を詫び、乗り合いの連中が大喜びした、というお話で、芥川は3つの問題点を挙げています。
1) 学者の卵の演説を、いかに辛辣(しんらつ:厳しく)に益軒が聞いていたか?
2) 乗り合いの連中の権威主義的俗悪さはどれほどだったか?
3) 益軒の知らない、新時代の息吹は、いかに学者の卵の演説にあふれていたか?


江戸むらさき特急 (ビッグコミックス ワイド版)

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真夜中の水戸黄門 (ビームコミックス)

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おおむね、以上のようなことが「侏儒の言葉」には書かれていました。(今手許にないんです。)
私は、このエピソードは、「水戸黄門」の構造を解くキーになると思っています。水戸黄門、すなわち徳川光圀(1628−1700)は、全国漫遊どころか、箱根も越えたことはないそうですから、「水戸黄門」はそもそもが架空のお話です。とは言え、益軒の先ほど取り上げたエピソードは、「水戸黄門」がウケルことのメカニズムを解く手がかりになると思います。


  ここで、3つの階層を想定します。
1) 力も智恵もない庶民
2) 1)よりはるかに強力な連中(悪代官とか)
3) 絶対の権威(水戸黄門


1) にとって2)は厄介な相手で、自力では倒せず先方から圧迫される。また、ある意味2)は1)の目標である。そのとき、1)の中にまぎれていた3)が「印籠」を出す。
益軒の話の場合、1)は大勢の同乗者、2)は学者の卵、3)が益軒です。どうですか、似ていませんか?
 2)の善悪をここでは読み変え、2)が「目立って、小憎らしく、邪魔な」存在であるとしたとき、また、1)の力では太刀打ちできないとき、自分たちと同じ1)から3)が出現するという事態は2)を貶め(おとしめ)、1)の自己満足をも引き起こすので、1)にとっては楽しさの2乗(Jollity^2)ということになるでしょう。でも、標的にされた学者の卵はかわいそうですね。


水戸黄門のお話の場合、本来1)だったはずの3)が突然きらめく正体あらわして、2)を懲らしめてくれるのだから、TVを見ている「水戸黄門」ファンは溜飲を下げるのでしょうね。ただし、その溜飲は「俗悪」そのものになるのも、当然のことです。やっかみ、足の引っ張り合いを肯定する大衆。水戸黄門の視聴者も1)ですね。俗悪です。芥川龍之介がこの世に別れを告げ自殺したのもわかる気がします。


 同じ時代劇なら、「三匹が斬る!」のほうがよほど健全な「溜飲」を下げられると思われます。↓
  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070823





今日のひと言:「水戸黄門」シリーズには「うっかり八兵衛」のような「役立たず」がよく登場しますが、うっかり八兵衛のミスで黄門一派が破滅的な事態に落ちこみ、全滅するといった話があったら、見てみたいですね。そう言えば、TV「水戸黄門」は最終シリーズに入ったとのよし、今後とも撮影しないで欲しいですね。


貝原益軒 : 1630−1714
     江戸初期の儒学者、医師。福岡藩士。養生訓(医学書)、和俗童子訓(教育論集)、大和本草など、夥しい著作を持つ。2つの書斎を持ち、読書などインプットの行為をするほうの書斎を益軒、執筆などアウトプットのほうを損軒と呼んだという。彼の名はここから取られた。



速報:今、ミャンマーで起きている騒動には、中国の影が見え隠れします。ずばり、ミャンマーは、地政学的に、中国にとって重要なのです。ミャンマー経由で石油パイプラインを引く予定もありますし、ミャンマーには天然ガスなどの資源も多いのです。ミャンマーが今の軍事政権であることは中国にとって、都合が良いので、ミャンマー民主化には反対することでしょう。アメリカと同等な大国のエゴですね。



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