虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

老子問答  その3

***老子は古代中国の哲学者。図書館の司書をしていたが、当時の王朝が衰微したのを感じ、西方に向かうとき、関所の役人・インキ(正確な字が変換できない)にリクエストされ、「老子」上下2編を著したと伝えられます。以下は老子初心者の友人とのやり取りの一節です。今回は3回シリーズ。(その最終回。)


      「道」についての補足
この前の「素朴な疑問」の質問に対する回答は、状況は説明できているとは言
え、「なんで、”道”と言う言葉をつかうかには直接は答えていませんでした。その
補足です。老子も含め、中国の人は具体物から発想するのが特徴です。その点、イン
ドの人のように思弁的ではないわけです。インド哲学なら、現実を飛び越え、あっさ
り「心・精神世界」にいっちゃいますけど、中国哲学はそのやりかたは苦手。やはり
具体物である「道」から話にはいるし、この簡単な言葉にいろいろな意味を込めるの
だと思います。その「老子」第1章の「道の道う可きは・・・・」に続く章句は「名
の名づく可きは、常の名に非ず。」ですが、「道」というのも「名」ですから、その
指し示す内容は「普通に言う道だけのことを指しているのではない。」と暗に示して
もいるようです。老子もちょっと気になったのでしょうね。なんにせよ、老子第1章
が、のっけから、「老子」全体の中でも一番難しい部分だと思います。いや、これは
実感。(以上の記述はTELでも触れましたが、まとめてみたわけです。)
 それにすこしまた補足すると、現実的な民族だから、中国哲学において、政治や軍
事とまったく無関係な書は、「荘子」を例外として、ほぼ皆無のように思えます。こ
れは、あなたの嗜好には関係なく、そんなもんだと思ってもらうしかないようです
ね。(「荘子」は相当インド哲学に近い気がします。政治、軍事なんかより、自分が
どう生きるか、と言う個人的なテーマが主題のようです。)
                      (05.06.19)



老子 (中公文庫)

老子 (中公文庫)

上掲の本、作者は小川環樹氏ではなく、老子その人です。お間違えなきよう。小川氏は注釈者です。実際この本を購入するとき、作者が「老子」だったので、(当然のこととは言え)、驚いたものです。



     道、易経荘子
さてさて、なんで、”道”と言う言葉をつかうかの疑問について答えてくれてありが
とうございました。具体物から入るなど、とてもわかりやすく説明してくれているの
で、難なく理解できたように思います。ありがとうございます。考えてみると、私
の詩(私に限らず)などもそうかもしれません。具体的な物を通して表現しようと
しているといえるとも思います。
易経」では、戦に際して占っている例が多くあるようだし、世の変化において、戦
が関わってきているのは、事実ですよね。でも、陰謀とか、裏切りとかにおいては、
昔の中国社会もよい評価をしていないという感じがします。でも、淡々と、それもな
にか森羅万象の一つのうちという感じで見つめているのもわかります・・・。

荘子について、ほとんど知らないのですが、なんか荘子について知るのもおもしろそ
うですね。(05.06.19)

  
        日本の老子荘子

(レス)日本に実在した(している)人物では、自然農法家の福岡正信氏が老子に、深沢七郎氏(小説家。代表作「楢山節考」)が荘子に例えられていたという記憶がありま
す。2人とも、インパクトのある本を出しています。福岡氏は「わら1本の革命」
(現在の版元は春秋社)、深沢氏は「人間滅亡の歌」(徳間書店。エッセイ
集。)。両者とも、農業に関わっていた点が共通で、深沢氏などは、埼玉県菖蒲町で
農耕生活をしていた際、野菜たちに氏の奏でるギターの音色を聞かせていたというファンキーな写真が印象に残っているな。


 老子は水、荘子は風といったイメージが僕にはありますね。なお、作者・哲学者と
しては「そうし」、本としては「そうじ」と読むのが一般的です。岩波文庫に4分冊
あります。内編、外編、雑編の3つにほぼ対応し、特に、内編が荘子その人によって
書かれた初期の作品と言われます。「天下の奇文」との定評があり、道教の世界で
は、「老子易経荘子」を「三玄の書」と呼び、重視するようです。もっとも、荘
子についてはSくんの造詣がより深い気がします。(05.06.19)




次回から、ノーマルなブログに戻ります。