虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「三匹が斬る!」のカタルシス 

*「三匹が斬る!」のカタルシス 


 テレビ朝日系で長年放映されていた「三匹が斬る!」が好きです。今でもしばしば再放送されますから、目にする機会も多いでしょう。

 もっとも、正確には「二匹が斬り、一匹が刺す!」でしょうね。八坂平四郎(とのさま:高橋英樹)、久慈慎之介(千石:役所広司)が刀で斬り、燕陣内(たこ:春風亭小朝)が槍で刺すわけですね。(後のシリーズで千両(近藤正彦)も出てきますが。)私の場合、時代劇がいろいろあるなかでも、この作品によって得られるカタルシス(浄化、排泄の意味:溜飲が下がるといった)はとても大きいのです。一方、「水戸黄門」の場合、あざとさばかりが鼻につき、カタルシスはありません。カタルシスとは、もともとギリシャ語で、哲学、演劇用語でした。精神分析の用語として使われることもあります。
 なにかモヤモヤしたとか、気持ちにつっかえるものがある、つまりは「異物」があるときに、それを体外に排出してサッパリさせるようなことをカタルシスというわけです。(以上の説明、広辞苑を参考にしました。)


 思うに、江戸幕府の威光をかさに着て行動する光圀とくらべ、たんなる素浪人である三匹が手持の実力だけを頼りに「悪」をぶった切る図がいいからかも知れません。彼らは命がけで「悪」を斬り、立ち去る(逐電するとも言う)のですから、お尋ね者になる覚悟が必要でしょうが、これまで追っ手が掛かってないのがラッキー!!一方、絶対安全な立場に身を置く水戸黄門、「ほりのぶゆき」のマンガ「江戸むらさき特急」(スピリッツ・コミックス)のなかで、印籠を切り札にすればいい、との臣下の意見に対し、光圀が「そんなのは、卑怯者のすることじゃ、わしゃ、やらぬ!!」と答えるというのがありました。そう、印籠の力に頼るのは、「卑怯」なのです。


時代劇というのは、小説の世界で言えば「歴史小説」「時代小説」とあるうちの、「時代小説」に相当するようですね。「歴史小説」は歴史上の事実を重視するけれども、「時代小説」はあくまでエンタテインメントを追及するわけで、私にとっての理想は黒澤明の一連の作品です。次になにが起こるか解らぬワクワク感がいいのです。「椿三十郎」が代表ですね。そのエンタテインメントを与えるのが「水戸黄門」ではなんだかさびしいですね。「水戸黄門」は予定調和的であり(これは「三匹が斬る」もそうだけど)、善人である登場人物(これは視聴者ひとりひとりに当たる)を必ず守ってくれるウルトラマンが「水戸黄門」なのです。「水戸黄門」の視聴者には高齢者が多いと思われますが、日本人の老人には「ウルトラマン待望願望」があるように思います。
椿三十郎」については以下の過去ログでふれています。
  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060604



今日のひと言:「三匹が斬る!」と「水戸黄門」の中間にあるのが「遠山の金さん」でしょうね。権威がある一面、遊び人の顔もある。味わいも中間的ですね。
金さんの(お白洲の上での)ひと言:「あ、刺青(いれずみ)を見せるのを忘れてた!!」in「江戸むらさき特急



今日の尋ね人:週刊新潮1999年〜2003年までエロティックなエッセイ・記事「エロチカ蔵書速読」を連載しておられた「嬉野倫太郎(うれしの・りんたろう)」さんに関する情報をお持ちのかた、是非ご教示ください。週刊新潮に問い合わせても、よく解らなかったのです。



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槍術―写真で覚える (武道選書)

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