虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

地域の破壊と再生・3つの例(やねだん、上勝町、夕張市)


 北海道・夕張市財政破綻は全国的に知れ渡っています。ここが財政破綻した最大の要因は、国の補助金に頼り、テーマパークなどのハコモノを次々と計画性なく作っていったからでしょうね。補助金は、地域を滅ぼすこともあるのですね。補助金自体他人任せですし、観光目的の開発にも警鐘を鳴らす事例が夕張市です。次にこれから、補助金に頼らず、活気のある地域作りをしている2つの例を見ていきます。


 まずは徳島県上勝町。典型的な過疎の町でしたが、今は生き生きしています。木材とみかんの町だったこの町、10数年前、みかんが台風で全滅したことがあり、どうにかしなければならないと考えた農協職員が、ユニークな着想をします。日本料理の彩りに使われるモミジやナンテンなど、山里であれば無尽蔵にある木の葉を、大阪や京都などの関西圏に出荷することでした。はじめはバカにされ、おばあさん4人くらいで始めた事業でしたが、今では大当たりし、年数億の売り上げが得られているとか。相場情報はファックスで各家庭に送られ、おばあちゃんたちが入念にチェックして、その日の収穫量を決め、採取して会社に持っていきます。だから無駄な収穫はなく、月100万円以上稼ぐおばあさんもいるそうです。この事業に関わるようになってから、おばあさんたちも生き生きしてきたというのです。思うに、この出荷作業、出荷者全員が参加するゲームのようなものなのでしょう。地域が生き生きしている証拠に、ゴミの排出量が減っている、とのこと。


 次に鹿児島県鹿屋市の柳谷集落・愛称「やねだん」。ここは自助努力の指向が強く、からいも(さつまいも)を共同で栽培することを核に、公民館活動、緊急警報装置の設置、寺子屋、土着菌の利用、焼酎作りなど、様々な事業を展開し、なんと昨年には集落(300人以下)の各個に事業による利益を還元する(一戸あたり1万円)という驚くべきことをやってのけました。この「やねだん」については、以前ブログで触れたのですが、
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060703

 「やねだん」の中心である豊重哲郎さんから、私のブログに感銘を受けた、ついては著作を差し上げたい、との嬉しい提案を受け、そして「地域再生・行政に頼らない「むら」おこし」という本を頂戴いたしました。(出版社:あさんてさーな:TEL099−244−2386)そして読んでみると、一人の人間の情熱が、いかにも地域・組織を動かすのだな、との思いを抱きました。組織論の本としても面白いと思います。
  特に私が興味深かったのは、補助金について以下のように書かれていることです:
「青写真を元に業をなすことはトンネル事業で、感動も知恵もなく、人間一人ひとりのアイデアの出番もない。これでは人は育たない。
 自ら知恵を出し、考え、試行錯誤するこの現実の中に出番が生まれ、やる気を誘発し、一人の人の存在感を認め合いながら、己の人生観を高め、いつの間にか感動の頂点にたどりつく。これこそが人間その人の価値観の高い活動の第一歩である。考え、汗し、充実感のあるボランティアは、値千金の出番をくれてありがとうの真の感謝である。感動と感謝こそが純粋な心の人造りの源に他ならない。
 補助金とは、長年の実績を元にした証明書のようなものでなければならない。即ち実績を認め、この見本を世間に広め、価値ある活動の評価に対するご苦労様の慰労金と思えばいい。万人が認める活動補助、これが本来の補助である。補助金の「おんぶにだっこ」では人も地域も育たない。」(P114―P115:「補助金に頼らない訳」より)
 地域作りの基本は、「感動をともなう構成員の参加」であって、決して補助金ではないことを、豊重さんは雄弁に語っていると思います。


今日のひと言:私が「やねだん」について、ちょっと心配なのは、成人すると故郷を後にして大都市で住むようになる若者たちが、どれほど「やねだん」に戻ってくるのか、という点です。豊重さんが、他の地域を「異郷」と呼んでいたのが印象に残ります。