「陶芸」を過大評価するなあ!
*「陶芸」を過大評価するなあ!
(予告にも関わらず、本日もアップします。)
僕は、陶芸という技術には否定的です。容器については、「おかずやごはんが盛れ
れば充分だ」と考えています。デザインとか形態とかはどうでもいいのです。
以前、南方熊楠の民俗学の本を読んでいたら、ある老農夫からの聞き取りとして、
「陶芸は不吉だ。土を減らすから。」という短い1文があったのが、とても印象に
残っています。そう、陶芸という技術は農業の敵と言ってもいいのです。廃棄した「か
けら」も、なかなか土には返りません。数万年はかかるでしょうね。その辺は、理屈
上、全て土に返る紙漉きとは事情が違います。それなのに、自分の名を汚したくないという理由で、作品を壊して「捨てる」陶芸家のイメージは、むしろ定着しているのでは?
だから、「陶芸家」を気取る連中も気にいりません。僕が山暮らしをしていたころ、
山の廃校に陶芸家がいましたが、山の人は「ああ、あの皿屋か。」と評していまし
た。なるほど、皿屋で十分じゃないのか、と僕はこの山人に拍手喝采を送ったもので
す。それ(皿)以上の価値など、陶器にはないのです。
北大路魯山人は、だれに弟子入りしたわけでもないのに、人間国宝になった傑物ですが、
具体的な作品には上記の理由で興味がないので、よく知りません。御免ね。ただこの
人、美味しいからという理由で生煮えのタニシを好んで食べ、肝臓ジストマという寄
生虫にやられて死んだというのも有名な話です。(ソースは「美味しんぼ」。)たいしたヤツじゃないな、というのが僕の印象です。
PS 陶芸とは、イメージ、デザインのことです。それを求めて高い骨董品を買うのは、物の価値を知らない人がすることです。ほら、「絵に描いた餅」というじゃあありませんか。
(ある人へのメールから引用しました。)
PS 小林秀雄の評論「様々なる意匠」は、ここで書いたようなイメージ、デザインにはだまされないぞ!との意思表示だった。彼はこの評論をあるコンテストに投稿したのだが、グランプリを疑わず、賞金を前借りして散財してしまったという。---おばか。2位だった。1位は「敗北の文学」(宮本顕治)。これは、歴史の皮肉か。