虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

荘子とムルソー(『異邦人』の主人公):時空を超えた「実存主義」

荘子カミュの作品の共通点を書いてみたいと思います。荘子は古代中国の哲学者(道家)、カミュは20世紀フランスの実存主義哲学者・小説家です。



妻の死問答


  荘子の妻が死んだ。恵子が弔問に出かけた。荘子は盆をたたきうたっていた。


(恵子:けいしは荘子の論敵。恵施。妻が亡くなったのに、この騒動はなにかと荘子に詰め寄ると:筆者注)以下のように荘子は言った――


 そのはじめ、天地が混沌の状態にあったとき、すべてのものがまじりあっているなかに変化が生じ、そこに気が生まれた。その気が変化して形を構成し、その形が変化して生となったのである。ところがいま、もう一度変化をくりかえして、形のある生から形のない気へ、気からまだ気のなかった状態、つまり死にかえっていったのだ。これは春夏秋冬の四季の循環をくりかえすのとまったく同じではないか。
 

死生観:生死の問題を気により解釈。気の集散が生死。知北遊参照。生死が自然現象の循環と同じであると説く。



(『荘子』・外篇・第18/ 至楽篇)



http://mohsho.image.coocan.jp/sohji-shiseikan.htmlより


ここで描かれる荘子の姿は、母が死んだ翌日に、女の人と寝たムルソーカミュの『異邦人』の主人公)に重なるものがあると思います。そしてこのムルソーは「太陽が眩しかったから」異邦人であるアラブ人を射殺します。まさしくアラブ人よりムルソーこそが「異邦人」として遥かに理解不能であり、裁判所は死刑を言い渡すのですね。まあ、ムルソーのような人はキリスト教世界では受け入れ難いですね。なお、この主人公の名は「死と太陽の合成語」であったらしいです。


実存主義・・・人は、こうでなければならないと規定する神がいて、そのような有り方を拒否する哲学であるとすれば、荘子ムルソー(および作者のカミュ)と同じく実存主義者と言えなくもないでしょう。その意味で、こんな話もあります。:「病気で、体のパーツが異常な形になったとしても、それを楽しめ」、と。これこそ実存主義哲学!!(God is dead.) (『荘子』・内篇・第6/ 大宗師篇)



今日のひと言:今回の考察は、これまで読んだ『荘子』の記述の中から、思い出したエピソードを、なにかに似ているという線で思い出し、『異邦人』と言う小説に似た記述があったと考え、ブログ化してみました。なお、この項を書くまで忘れていましたが、中国学者福永光司さんに「荘子 古代中国の実存主義」(中公新書)といった本があります。が、着想的には荘子カミュの類似点はこの本と独立に思いついたのです。なお、【荘子】、哲学者としては「そうし」と読みますが書物としては「そうじ」と読みます。儒家の著作『曾子』(そうし)と区別するためだそうです。



荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

荘子 第1冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

荘子―古代中国の実存主義 (中公新書 (36))

荘子―古代中国の実存主義 (中公新書 (36))

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

対訳 フランス語で読もう「異邦人」

対訳 フランス語で読もう「異邦人」

実存主義とは何か

実存主義とは何か




今日の一品


@ホッケのカレー風


弟作。ホッケの骨を取り除き、自家製のカレー(ガラム・マサラ)で煮込みました。カレーの風味が勝ったようです。ホッケを食べたあとのカレーは、パンにつけて食べます。

 (2018.02.06)



@ラム肉とモヤシの炒め物


弟作。使ったのは、ナンプラー、粒マスタードオレガノクルミ。貴重なラム肉をモヤシで増量したのです。

 (2018.02.07)



人参しりしり



弟作。この前は包丁で細く切った人参を、今回波つきピーラーで細く切り、フライパンでゴマ油でマヨネーズをとかし、切った人参を投入し、塩、胡椒で味を整えました。

 (2018.02.07)



@人参グラッセ



弟との合作。ハナマメの煮汁を再利用し、ニンジンを煮てみました。糖分が人参に浸みて、美味しい。この料理はバターを使うことが多いようですが、今回は使用しませんでした。

 (2018.02.09)



@ブリのムニエル・マリネ液掛け



弟作。粉は小麦粉、ゴマ油。マリネ液は当家秘伝のタレ。

 (2018.02.10)





今日の三句



寒空に
バラのツボミの
ふくらみぬ



知人からの葉書に書いてあった記述をもとに一句。

 (2018.02.10)





バーズ・アイ
蒼い瞳の
春の使者



バーズ・アイ(bird’s eye)とは「オオイヌノフグリ」のこと。蒼い花を鳥の目に喩えた名です。ゴマノハグサ科

 (2018.02.11)





この道を
いつも歩きし
タエコかな



「タエコ」は、昨年末に亡くなった我が家の犬。

 (2018.02.11)





今日の違和感:ピョンチャンオリンピックが始まりました。NHKは特別番組編成を組んでいます。でも、我々兄弟は、スポーツ嫌いです。そんな人にとってはTVで延々と放映される競技の有様は「拷問」です。だれでもスポーツが好きなわけではないのです。だいたい高が2週間(パラリンピックも入れて4週間)の会期の巨大な施設を建て、そのイヴェント後には持て余す、建設に当たってゼネコンのみ大いに儲かるようなバカげたお祭りに熱狂するなんて、アホです。「祭典」開催後には必ず不景気がやってくるのは、万国共通ですよね。


スポーツとは何か?近未来小説の2大作品、『素晴らしい新世界』(オルダス・ハックスリー)、『1984』(ジョージ・オーウェル)では、「身に迫った問題から目をそらさせるために存在する権力側の小道具である」とされているようです。(両方読んだ弟の談話)

 (2018.02.11)