虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

夏目漱石の「こころ」〜三角関係の恐ろしさ

 この小説は夏目漱石晩年の作品で、私は高校で学びました。そしてこれは彼の作品のなかでも飛び切りの光芒を放つものであると思われます。三部構成からなります。「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」です。


 私は、大学生。教養のある人物・・・「先生」と知り合い、懇意になります。私が父の病勢が改まったことを告げられ、郷里に帰っていたとき、「先生」からの分厚い手紙が届きます。それは、「先生」から私に宛てた遺書だったのです。


 以後、「私」とは「先生」のことを指します。「私」は、軍人の未亡人妙齢の娘の住む家に下宿するようになりますが、いつしか娘さんを好くようになります。そこへ、世間的には超然としてはいるけど、実生活上問題を抱える親友・Kをも連れてきて、同じ下宿に住むようになります。


 無骨で女っ気のないKが、娘さんに恋心を持つようになるのですが、これは「私」には計算外でした。なんとかしてKを蹴落としたい「私」は策略を組みます。


 以前、Kは「私」に「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」と言ったことがあったので、娘さんに執着するKに
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」


と二度も繰り返し、Kは
「馬鹿だ」「僕は馬鹿だ」
「もっと早く死ぬべきものを何故今迄生きてゐたのだろう」
とつぶやきます。(なんと残酷な・・・)


また奥さんから娘と「私」の結婚話を聞かされたとき
「おめでとうございます」「結婚はいつですか」


・・・などとしゃべったあとのある夜、Kは頚動脈をナイフで切って自殺してしまうのです。


「塗り付けの悪人が世の中にゐるものだとはないと云ったことを。多くの善人がいざといふ場合に悪人になるのだから油断しては不可ない」


元来、諸事気の利く「私」だからこそできたKの追い落とし。でもその娘さんを妻にしても一向に気が晴れません。


「妻が中間に立って、Kと私を何処までも結びつけて離さないやうとする」


「私」が自殺することは、Kを欺いたときから決定していたわけですね。それにしても、結婚後常に(その事情で)不機嫌で、妻には何を聞かれても答えないという「私」の態度は、「喜び・悲しみを分かち合う」夫婦のあり方としては常軌を逸しています。これでは「私」が自殺したあとの妻の苦労までは考え及ぶまいとも思います。


なにはともあれ、この「こころ」という作品は、アナトール・フランスの「神々は渇く」やドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などと並びうる作品かと思います。世界的な傑作です。



今日のひと言:私も以前、ある女性をめぐってある卑怯な男と三角関係になりました。私は「こころ」の中での「Kと同じ役回り」でした。でも、私は自殺はせずにその男のプライドをズタズタにしてやりました。もっとも痛手も大きく、その三角関係ののち、数年間はノイローゼ=人間不信の状態からは抜け出られませんでした。(ここでの私とは筆者・森下礼のこと。)三角関係というのは、当事者の男女に激しく・壊滅的な情動を巻き起こす恐ろしいものなのです。


なお、女性の側から三角関係を清算する行為として、自ら死を選ぶというお話が万葉集にあります。求愛するどちらの2人も魅力的でどちらにも靡けないので・・・「自分がいなければ争いは起きないだろう」、という気持ちで・・・

真間山の麓にいたという美少女にまつわる伝説が伝わる手児奈霊園。運命にもてあそばれた美しい娘・手児奈(てこな)は真間の入り江に身を投げたと伝えられ、万葉集にも詠われています。


http://www.plaisir-villa.jp/location/ より。


 ついでに・・・「K」という呼称は、夏目漱石の本名・金之助のイニシャルからKとしたようにも思えます。同じように、梶井基次郎の「Kの昇天」に出てくるKというのも、梶井のイニシャルから採られたものかと思います。




今日の一句

待ちわびた
今こそまさに
山笑う


「山笑う」とは木々の葉や花が開いて春爛漫といった状態を言った季語です。

     (2012.04.28)



今日の愚言


女殺油地獄とは、故・橋本竜太郎さんのこと」。「女殺油地獄」とは近松門左衛門の劇ですが、生前の橋本さんは毛髪にポマード(油)をテカテカ光るほど塗りたくり、女性有権者の人気が高かったのです。

     (2012.04.28)

こころ (新潮文庫)

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漱石文明論集 (岩波文庫)

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アナトール・フランス小説集〈2〉神々は渇く

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