虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

ル・クプル、カズン、エブリリトルシング〜その音楽性の変遷


 「ル・クプルLe Couple」はフランス語で「夫婦」といった意味、1990年にデビューし、2005年に活動を停止し、2007年離婚したカップルです。構成メンバーは藤田恵美(1963年生まれ)と藤田隆二(1963年生まれ)です。TVドラマ「ひとつ屋根の下」の挿入歌として歌われた「ひだまりの詩」が180万枚売れるという大ヒットで多くのひとに認知されました。


 「カズン:Cousin」は英語で「いとこ」、1992年にデビュー。構成メンバーは古賀いずみ(1967年生まれ)と漆戸啓(1973年生まれ)の「いとこ同士」。サッポロビールのCM「冬のファンタジー」が70万枚売れて、多くの人々に認知されました。


 「エブリリトルシング:Every Little Thing」は英語で「ひとつひとつのかわいいもの」といった意味です。略して以後ELTと呼びます。1996年デビュー。構成メンバーは持田香織(1978年生まれ)、伊藤一朗(1967年生まれ)、五十嵐充(1969年生まれ、のちに脱退)。ファーストアルバム「Everlasting」が大ヒットし、10代、20代のファン層に熱く支持され、グループとしては1990年代後半の音楽シーンを「trf」とか「globe」などど共にリードします。



 これからが本論ですが、私には、これまで聴いた限り、ELTがそれほど優れたユニットであるとは思えません。CD「Every Best Single 2」のなかの「Fragile」という曲、私も聞いた覚えがあり、恋を歌った曲かと思いますが、「私には、その恋の姿が見えないのです。」楽器だけは盛んに鳴りますが、抽象的で、ちっとも具体性がない。恋愛経験が足らず、頭でっかちの抽象的な歌になってしまっているのです。そして、音とセリフにもたれかかった曲作り。でも、私は、曲の評価に「具体性」を重視するのです。



 そこへ行くと、ル・クプルは、具体的に恋や愛の姿をみさせてくれるし、なにより大人の男女の機微を歌っています。「縁は異なもの」「片思いのオレンジ」「それを恋と呼ばないのは」など多数。カズンも、率直に恋の始まりや終わりを鮮やかに見せてくれます。「水曜日に会いましょう」のわくわく感、「ベルが鳴った」などのしんみり感がいいのです。ル・クプルよりはちょっと年少な恋を歌わせたら、カズンに並ぶユニットはそうそうないでしょう。



ここでリードボーカルの女性たちの生年を思いうかべましょう。
ル・クプル藤田恵美さんは1963年生まれ
カズンの古賀いずみさんは1967年生まれ
ELT持田香織さんは1978年うまれ


持田さんは15歳も藤田さんより年少です。カズンの古賀さんはわずか4年藤田さんより年少で、「ル・クプル」と「カズン」はほぼ同じ時期に活躍しているし、リスナーとしての私も同年代です。だから好感を持つのかも知れません。(カズンの場合、漆戸啓さんがかなり遅く生まれていることに注意してください。これにより、カズンはル・クプルELTの橋渡ししていたのではないか、と。)
 

 15歳という年齢差は埋まらないものなのでしょうか?!  大体、音楽の性向は、5年単位で変わるという話を聞いたことがあります。そうすると、3代も性向が違うわけで・・・この差は埋まらないのかも知れませんね。ただ一つ言えるのは、「具体性の中にこそ普遍性は宿る」ことです。




今日のひと言:本文でふれたようなジェネレーション・ギャップによりELTをけなす結果になってしまいましたが、ELTファンの人、そういうわけでごめんなさい。また、各メンバーの生年は、Wikipediaとか、有名人の生年を書いたブログを参考にしました。なお、最近の音楽シーンはよく知らないので、ELT以後のユニットらが、どのような音楽性を持っているかも、よく解りません。ここ最近のユニットでは「いきものがかり」は好きですけど。


on the sofa

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GOLDEN☆BEST/カズン 冬のファンタジー/シングル・コレクション

GOLDEN☆BEST/カズン 冬のファンタジー/シングル・コレクション

Every Best Single 2 (CCCD)

Every Best Single 2 (CCCD)


注:このブログを立てたのち、ELTの「Fragile」をまた聴いてみたところ、それほど違和感を感じませんでした。ただ、より正確にこの曲の特徴を書くと「直訳調の歌詞」=「日本語としてこなれていない歌詞」であると感じられました。(2009.10.08記す)