私は、いわゆる時代小説は嫌いです。例を挙げれば、(作者は失念しましたが)
古代中国・越の軍師・ハンレイが、宿敵呉王の夫差(ふさ)を討ち取ったあと、夫差を堕落させるために呉に送った美女・西施(せいし)を、自分の妻に迎えるという大団円を迎えますが、ハンレイと西施が恋愛関係にあったというお話は「聞いたことがなく、」また、「歴史小説」と読めるマンガ「呉越燃ゆ」(久保田千太郎・作/久松文雄・画:講談社)でも、そのような話は出てきません。
これは、ハンレイと西施が恋人関係であると面白いと作者が思ってのことなのかもしれませんが、「沢山の美女を選んで呉に送った一人」が西施なのですから、この作家のようなシチュエーション理解が、いかにいい加減か、と思います。
このような有名人に寄りかかったお話作りを「時代小説1型」と呼ぶことにします。その視点で見ると、現代あふれかえっている歴史に寄りかかった小説は、ほとんどこれに当たります。このまえNHKで放送されていた「浪花の華」(築山桂)の場合もそうで、「緒方洪庵」の青年期を拾い上げ、架空の物語をつくっています。それは、ミステリーとしての作品です。
ただ、歴史上の有名人に寄りかからないお話もあるので、それらは「時代小説2型」と呼ぼうと思います。畠中恵さんの「しゃばけシリーズ」などがそうです。山本周五郎とか藤沢周平なども、この類型に入ると思います。(ただ、山本周五郎には宮本武蔵の出る小説とか仙台藩を扱った「樅の木は残った」という歴史小説もあるので、一概には言えませんけど。)
森鴎外は、以前、歴史小説について、「歴史そのまま」「歴史ばなれ」という2分類を提唱しました。「歴史そのまま」の小説は、該当代の視線をもって歴史を語る態度であって、森本人も「阿部一族」でそのような小説を展開しています。一方の「歴史ばなれ」の場合、恐らく芥川龍之介を意識してのことでしょうか、現代の視線をもって歴史を語る態度であると。芥川は、現代的な視線で歴史を捻じ曲げるというわけです。しかも、芥川の弱弱しい感性に寄りかかって。そして、時代小説は全て「歴史ばなれ」な作品なのでしょう。
まあ、時代小説は、あくまで「娯楽」の小説、歴史小説は「歴史から何事かを読取る」小説であると思います。
今日のひと言:「娯楽」に徹した時代小説としては、山田風太郎の一連の作品が傑作です。
「甲賀忍法帳」などが有名です。この作品は「せがわまさき」氏により、マンガ「バジリスク」(:講談社・アッパーズコミック)となっています。
過去ログ:
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060826
バジリスク甲賀忍法帳(Basilisk)の2考察
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