虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「ピーターと狼」・その寓意

*「ピーターと狼」・その寓意

 ソ連時代の作曲家・プロコフィエフ(Прокофьев)が児童をクラシック音楽になじませる目的を持って作曲された「ピーターと狼」、一度はどこかで聴いたことがあるかもしれません。
 登場する動物たちとか人物にそれぞれ楽器を割り振り、楽しみながらクラッシク音楽に親しむことができます。例えばピーターと小鳥はフルート、アヒルオーボエ、狼はフレンチホルンが割り振られるのです。


 実際、モスクワ児童劇場の支配人・ナターリャ・ザッツ女史の依頼をうけたプロコフィエフはそれからたった4日後に曲(ピアノ・バージョン)を女史に渡したのだといいます。
 さて、プロコフィエフは共産体制下にいた作曲家ですから、共産党のスローガンを伝えるように暗黙の命令があったかも知れません。なにかの「寓意(ぐうい)・隠された意図)」はなかったのでしょうか?その視点から(「ピーターと狼」「寓意」)のダブルキーワードで検索して見ますと、やはりこの音楽に寓意を見出すひともいるようで、http://www4.ocn.ne.jp/~jugyo/page8.htmなどが挙げられます。
どうも、「狼=資本主義」といった括りができるようです。ピーターが友達の小鳥と協力して狼を捕らえるというエピソードを「資本主義を退治した」というように読み直すのですね。


 その解釈はそれなりに説得力がありますが、私は以下のように考えます。芸術家のイマジネーションは政治体制をも凌駕する:この曲の「狼」を北欧神話の「フェンリル狼」に置き換えると、このフェンリル狼という存在は世界を破滅に導く魔物ですから、それをひっとらえるという行為ができる人は救世主であることになりますね。神話的世界です。退治をするのはピーター、ロシア語でピョートル(Пётр)という名のロシア建国者(ピョートル大帝)であることになるわけで、この名はロシア人にとってはレーニンより大きな意味があるのです。なぜならレーニンの名を一度は冠したレニングラードはいまではサンクトペテルブルク(聖なるピーターの町)に戻っているのですから。ただピーターと言えば西欧では珍しくもないですが、ロシア人がピョートルという名に対して持つ愛着は人一倍でしょう。ネット上の伝記で「彼は極寒の北極海に飛び込んで肺炎で死亡した」、という記述を読んだ時、「自然と勝負するとはバカな皇帝だな」、と思いましたが、ちょっと付帯状況が違っていました。正しくは「難破した船の乗り組み員を助けるために北極海に飛び込み、無事に救出したあとで肺炎に罹り亡くなった」でした。ああ、なんて勇敢で心優しい皇帝でしょうか、といった具合です。でも、この付帯情報の欠如、意図的なもの、ピョートル大帝を貶める類のもののような気がします。ピョートル大帝については
  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070224
もご覧ください。


 プロコフィエフ北欧神話に詳しかったかどうかは知るすべもありませんが、彼が共産主義のなかで自己表現することは、極めて難しいことだったでしょう。でも芸術家の想像の翼は、決して折れないものだと信じます。なお、アメリカ元大統領のビル・クリントン旧ソ連大統領ゴルバチョフに会って、「ピーターと狼」などをネタに盛り上がったことが
あるとか。以下参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3



今日のひと言:プロコフィエフにはソフトバンクのケータイのCMに使われた「騎士たちの踊り」(inロミオとジュリエット)という名曲もあります。




プロコフィエフ―音楽はだれのために? (作曲家の物語シリーズ)

プロコフィエフ―音楽はだれのために? (作曲家の物語シリーズ)