虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

経済学の良心――自動車の社会的費用  その2

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自転車泥棒【字幕版】 [VHS]

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(世の中には、自分たちの住む地域にどうしても高速道路が必要だと言う人たちもいるようで、例えば日本海沿岸に高速道路を、という運動を20年近くやっている運動もあるようですが、自動車、道路社会の問題点を認識して欲しくて、この文章を書きました。)

     (承前)
まずは、今の日本では絶対に考えられない衝撃的な記述を引用しよう。
そのもたらす効用の大きさの故に、これまで加速度的なスピードで拡大してきた自動車普及が、逆に大きな社会的費用を生みだし、道路建設、自動車通行規制、ガソリン税等のあり方について人々の考え方が大きく変化しつつある。そして変化は徐徐にではあるが具体的な政策面にもあらわれかけている。

 その一つの例として、1973年2月、大ロンドン市会の環境開発委員会が策定した画期的な自動車対策をあげておこう。道路に沿った空き地に設けられている一時的駐車場8800ヶ所を全廃し、これによって得られる50エーカーの土地をすべて緑化する。


そして、駐車場の新規建設は一切認めない、という措置である。さらに、補完的な措置として、特定地域への駐車には特別の許可証を導入し、運転者には高額の許可料を課そうとする。これに似た自動車対策は、ロンドン市だけでなく、欧米の多くの都市で採用されつつある。

A:「自動車」が社会的に負担になる、という考え方は、はっきり言って現在の日本においては明確に認識されているとは言えない。なぜなら、大型小売店舗はバブル崩壊後の現在でも出店されているが、その際、店舗面積と同等以上の駐車場面積がなければ商店価値は激減すると言われている。この引用は1973年という30年以上前において、自動車の問題点をはっきりと認識していたイギリスの先進性が窺える。日本では今でも緑地をつぶして駐車場にしているものね。また、いわゆる「マイ・カー」という言い方にも宇沢氏は疑問を投げかける。自転車に乗っていた子供に接触したドライバーが「マイ・カーに傷をつけたな!」と食って掛かる情景を目撃した宇沢弘文氏は、自動車を盾にした人権侵害である、と断ずる。実際、自動車にまつわって生じる「社会的費用」は、通常考えられているより巨大である、ということが宇沢氏の論調なんだよ。日本においては自動車運転者の権利ばかり強調されていて、歩行者、自転車運転者は危険な状態に置かれる道路の現状自体を改革する作業も込みで自動車の社会的費用を試算している。もちろん、自動車の出す排気ガスも織り込み済みだ。
B:どんな内容かな?
A:そうねえ、まず「混雑現象」から説明しよう。
  「各経済主体が(社会的共通資本から生み出される)サーヴィスのある一定量を使用したときに、それによって得られる効用なり利益は、他の経済主体が同じサーヴィスをどれだけ使用しているかに依存するという現象」のことだ。自動車の場合で言えば、道路のストック量が一定の場合、通行者が多すぎると、道路の混雑が起き、輸送能力は悪くなるよね、平たく言えば。この概念は、「自動車の社会的費用」の記述で重要なものだから、覚えておいてね。さて、一足飛びに核心に行こう。
                           (続く)

今日のひと言:NHKのアサドラ「どんと晴れ」、明日もいい天気であると伝えたいようだが、英語では「don’t 晴れ」になり、雨か曇りかということになるがどうだろう?あ、よく見たら「どんど」だったあ!!

今日のひと言2:夕方のフジテレビで、「目隠しをしてルービックキューブを解く少年が伝えられていたけど・・・一言いいかな?もっと生産的で健康な趣味を持ちなさいよ。手間と時間と知能の浪費に思われる。