虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

タケノコ2題(水上勉と玄侑宗久)

土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)

土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)

便器に頭を突っ込んで

便器に頭を突っ込んで

     *タケノコ2題(水上勉玄侑宗久   


 エッセイ特集  その3
 

以下、2人の作家の、タケノコに関するエッセイを並べます。二人の共通点は、禅の修業体験のあること、かたや芥川賞かたや直木賞の受賞者であることです。


『ふつうタケノコは、「採る」ものであって「狩る」ものではない。しかし竹薮が広く、食べきれない分を宅配便で知人に送ってもなお出てくる余分については、もう「狩る」しかない。うちでは、「やっつける」とも言っている。柄の長い鎌や、長靴を履いた足そのものが武器になる。エイヤッと、切ったり蹴ったりして廻るのである。
 竹にまで育ってしまうと、これを切る手間は狩る場合の何十倍にもなる。竹は地下茎をどこまでも伸ばし、竹薮じたいが常に広がろうとしているから、放っておくと庭も境内もどんどん竹だらけになってしまう。だから、狩るのである。
 それにしてもいろんな親子がある。竹と筍、蕗とふきのとう、スギナと土筆。しかし竹ほどすぐに、親そっくりになるものも珍しいかもしれない。
 草食動物などは、いつ肉食獣にやられるかわからないから、生れ落ちると大抵すぐに立ち上がる。そんな自立の早さがタケノコにも感じられる。しかし考えてみれば、彼らは全部地下茎で繋がっているから、親からの栄養をずっともらい続けている。実は自立なんて、していないのである。
 しかし切られると、途端に自立しようとする。自ら独り立ちしようという意志がタケノコに芽生え、それがアクと言われるものになる。だから切られて栄養補給されない時間が長いほど、あるいは光を受けて竹になる意志が強くなるほどに、アクも強くなる。つまりアクが強いということは、大人に近づいた証拠なのだと思う。・・・(以下略)』
  玄侑宗久「タケノコ狩りと自立について」(inサンショウウオの明るい禅:海竜社:2005年)


『・・・和尚は、ぼくに肥えもちを命じた。寺には庫裡(くり)に二つ、書院に一つ、本堂に一つ、都合四ヶ所の便所があって、小人数の世帯でも、法事や葬式があれば客もくるので、ずいぶん汲み取りも忙しかった。捨て場所はたまに畑のこともあったが、たいがいは孟宗藪の地めんいっぱいに、ちらばらせるのである。平均にちらばらせて捨てないと和尚はよく叱った。子供のことだから、桶に半分ぐらいでも重いので、無精をして入った藪のとば口あたりに捨てて帰る。すると、「そんなことしたら、そこにばっかり筍が出てしまうがな」と和尚はいった。藪が平均に竹の生育でそろう姿を維持するには、肥やしも万遍なくやらねばならぬというのが、和尚の云い分なのだった。十歳前後だったぼくは、この肥えはこびはつらかったが、季節がくればたらふく喰える筍のことが頭にうかび、やはり、喰うためには肥やしは必要だという思いがあったことをいつわれない。
 そういえば、生家のまわりにも、時々、地主がきて、下肥えをまく日があった。そんな日は、母は戸をしめた。周囲から他人の糞の匂いが襲ってくるのはたまらなかった。・・・(以下略)』
  水上勉「五月の章」(in土を喰う日々新潮文庫:1982年)


 玄侑宗久の「サンショウウオの明るい」は、どちらかと言うと、禅の入門書・解説書ですが、私から見ると、印象に残らない記述が多いです。ここで引用した「タケノコ狩りと自立について」は「福島民報」2004年6月6日号に掲載されたものですが、「タケノコ」と教育問題の「自立」を無理やりくっつけている印象を受けます。喩えも稚拙です。草食動物のこどもだって、なるほど、すぐに立ち上がるとはいえ、それから暫くは母親から母乳を貰い続けるのですから、タケノコと同じではないですか。この喩えを打ち破るのは極めて簡単ですね。また、なにやら「タケノコのアク」というエグミ成分を「人間の大人になるファクター」のように説明していますが、なんで竹と人間が同列に論じられるのでしょうか?私には不可解であり、このような安直な喩えは不愉快でもあります。なんだか、坊主の退屈な「ためにする」説教を聞いているみたいです。あ、実際、玄侑宗久は坊主でしたね。それから、ちょっとした疑問ですが、タケノコを狩ったら、もうそのタケノコは竹にはなれない=人の胃袋に納まるのではないでしょうか?その辺り、引用の記述からは、正確なところは解りませんが。まあ、タケノコをあんまり食糧として尊重していないな、といった印象さえ受けます。
 一方、水上勉の「五月の章」の場合、実に体感的なタケノコにまつわるイメージが伝わってきます。行為の記述が適切で、臨場感があります。特に、人糞の匂いに関する記述は、体験しているからこそ、それを体で覚えているからこそ、書きうるものです。現実をしっかり踏まえています。
 その水上勉が言うには、「は難しいことを、日常のありふれたことの中に溶かして伝えるやり方を取る」そうです。水上勉は、実際そのような書き方をしています。
 同じく参禅経験があるとは言え、この両者の違いはなんなのでしょう?玄侑宗久の場合、頭で禅というものを捉えているに過ぎないのではないでしょうか?:「オツムいいのね。」思弁的に過ぎるのです。体でずしっと事象を受け取ることができない「半可通な(なまはんかな)」禅理解だから、印象に残らぬエッセイしか書けないのでしょう。具体物を取上げても、ぜんぜん具体的ではない。あるいは、現実の事象を正確に捉える訓練があまりなされていない、ともいえましょうか。これで参禅体験があるとはにわかに信じられません。思弁的であることの査証は、玄侑宗久が、何かと自然科学、なかでも物理学と禅宗の相関性を挙げることです。まあ、ニューエイジの洗礼を受けているのでしょうけど、聞きっかじりの怪しい物理学の知識を駆使せずとも、禅について語れるのが禅者でしょう。


  禅に関係した過去ログ
  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060505 (独座大雄峰/百丈懐海)


今日のひと言:理解するというのは、頭ですることではありません。全存在を賭けてすることではないでしょうか?