虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

野草の庭を作る(タンポポ、ハコベ・・・Etc・土シリーズ その3)

 (土シリーズ3回目。全4回。途中インターミッションが入りました。)
      アカザ(藜:goosefoot)→
 私はこれまで、いろいろな植物を栽培してきましたが(野菜、ハーブ、多肉植物など)、最近の方針は、「野草の庭」を作ることです。この場合は「食べられる野草」になりますが。
 我が家の庭は30坪くらいで、この家に住む家族としては、森下家が2代目です。1代目の家族は、樹木を所狭しと植えていたので、込みすぎている箇所は一本一本伐採して行きました。それからの庭管理の方針は、私と父で対立しました。私は、出来れば樹木は全て伐採して、草を植えたかったのですが、父は「日陰が大事」との理由で、樹木の伐採には反対していました。ただ実質的に庭を管理していたのは私だったので、樹木はだんだん減っていきました。例えば庭の中心にあった松の木、隣家に掛かる枝を整理したところ、松はあっけなく枯れてしまい、この松も伐採しました。おかげでかなり明るい庭になりました。(ただし、大きな木だったので、自力で伐採するのは不可能で、専門の植木屋さんにやってもらいました。)
 野菜については、近所に畑を借りているので、庭では作らず、フェンネル、ヤロー、マーシュ、ナスタチウムヒソップターメリックなどのハーブをもっぱら栽培していましたが、私が昨年はじめに病気で入院した際、ハーブは雑草にことごとく敗れ、雑草の庭になってしまいました。ここで私は考えました:いっそのこと、「野草の庭を作ったらどうか」?と。
 そう言えば、アカザという野草については、2年前、種子を庭に撒いていました。昨年はよく発芽して、アカザの一角を形成していました。アカザは「おひたし」にして美味しい野草です。ホウレンソウの野生タイプと言ったところです。成長したついでに、「アカザの杖」を二本製作しました。「アカザの杖」は、軽くて強く、古来老人用の杖に重宝されたそうです。
 野草は、もともと無視されていますし、食べれば美味しい野草でも、情け容赦なく除草されます。昨年夏の8月、私はそのような野草の一つであるアオゲイトウイヌビユと近縁)の苗を三株取ってきて、庭に植えました。種を作らせるためです。アオゲイトウは、野菜であるバイアム(ジャワほうれんそう)の仲間で、バイアムほどマイルドではありませんが、美味しい風味を持っています。晩秋、種は確かに実り、一部を保存して、穂を庭のあちこちに撒きました。
 野草の種の場合、翌年全てが発芽することはなく、時間差で発芽するという特徴があります。だから、数年計画で庭に定着すれば、その野草が庭に根付いたことになるのです。
それに、アオゲイトウの場合、発芽する時期はかなり遅く、7月過ぎになります。その間、ツユクサが茂るのですが、これも若葉は美味しい野草です。ツユクサを刈り取ったあと、アオゲイトウの芽生えを待つ、という首尾です。場所と時間の住み分けを考慮して野草を育てるのです。
野草の生態を管理しつつ野草の庭にしていくのは、それはそれで大変な仕事なのです。
現在、庭にある食用野草は、アカザ、ツユクサ、クコ、サンショウ、オオバコ、アオゲイトウタンポポ、スイバ、ハコベカキドウシ、ノビル、ミツバ、セリ、フキなど、多士済々です。そういえば、シソも野草化しています。
 私は昨年「野草を食べる・滋味(JIMI)!!」を出版しましたが、これについては
 http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060909
をはじめとする一連のブログをご覧ください。(5話シリーズ)

今日のひと言:野草は大地の精。ちょっとくらい人間に苛められても、たくましく生き抜きます。今年はカラスノエンドウを仲間に入れようかな。


今日のひと言2:三浦朱門よ、門外漢は黙れ!(数学)
 私はいま、高校1年生の家庭教師をやっています。担当は英語と数学。数学の範囲は数Ⅰですが、いわゆる「新指導要領」になるまえのテキストを持っていた私は、施行後の内容を知って、愕然としました。高校数学の基本である虚数複素数が出てこないのです。そのわりには三角比が出ているアンバランスな内容です。虚数複素数こそ、世界を記述できる数なのですが・・・(高校の時代中には取りあげられますが、複素平面はオミットされているようです。)
 そもそも、こんな変な教科書が誕生したのは、文部科学省の教科書諮問会議のメンバーだった作家の三浦朱門が、「妻の曽野綾子が、日常的に二次方程式の解の公式を使うことはない」との発言をして、文部科学省の役人が同調したからだと言います。三浦朱門はたしか東大文学部出身(理学部ではない)で、三省堂の「コンサイス日本人名事典」に記述のない程度の人であるに過ぎず、おそらく、文部科学省で左遷・退官し、「みのもんた朝ズバッ!」にたまに出演している寺脇研あたりが施策したのでしょう。なんでTBSは、この無残な失敗に帰した「ゆとり教育」推進者を呼ぶのでしょうね。不思議です。
 なるほど、二次方程式の解の公式は、日常的には使わないでしょう。でもそれが中学生に解の公式を教えない理由になるのでしょうか?数学は、広く深く現代文明、現代生活に関わる学問です。数学者の諮問で決めるのなら仕方ないですが(その国がそのくらいのレベルだということになるから)、ハスッパな売文家の意見で施策方針を決めるなど、もっての他です。そのおかげで、二次方程式を教えるときに併せて教えるべき・不可欠な虚数複素数をオミットしてしまうという暴挙に繋がるのです。
 日本のような「ゆとり教育」=「空疎な教育」を進めた国は他にはありません。インドをご覧なさい、理数系教育の充実に国運を懸けているのですよ。このままでは日本はインドにも負けるよ。