虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「やまとなでしこ」になれなかった女――三橋歌織と神野桜子

(土シリーズ・インターミッション1)

 昨年末に発覚した新宿バラバラ殺人事件、おぞましい事件でしたが、犯人が被害者の妻の三橋歌織であったと判明したときはさらに驚きました。
 ところで、三橋歌織の経歴が報道されるのを聞いていると、私は数年前のフジテレビの人気ドラマ「やまとなでしこ」の主人公・神野桜子を想起せざるを得ませんでした。松嶋菜々子演じる神野桜子と三橋歌織には共通点が多いのです。いくつか挙げてみると、
1) 日本海側の県の出身であること・・・神野桜子は富山県、三橋歌織は新潟県
2) 東京にあこがれて出て来る(一種の田舎者)
3) 客室乗務員(スッチー)になるか挫折するかしている
4) 合コンで知り合った男性と結婚している
5) お金に執着がある
6) 勝気な性格

ざっとこれだけの共通点が数えあげられます。なんだか「やまとなでしこ」は三橋歌織の存在を予言していたようにも思います。逆に相違点をあげると
1) 三橋歌織は資産家の娘であり、経済的には最初から恵まれていた。ただし家が左前になった頃に被害者と知り合う。一方神野桜子は貧しい漁師の娘であり、東京でも男を引っ掛けるアイテムにはお金をかけていたが、私生活ではカップラーメンをすする生活をしていた。
2) 結婚をするに際し、あまり考慮を加えなかったのが三橋歌織、表も裏もお互い知り抜いて結婚したのが神野桜子。

 三橋歌織の場合、被害者との間で財力の力関係の変化が見られます。当初は歌織の実家の金力もあり、被害者が劣位、実家の傾きと被害者の経済力増加により歌織が劣位。お金を介在させて相互の憎しみが増幅したと思われます。歌織の場合、お金は生活水準の維持という意味で不可欠だったでしょうね。お金は最後まで彼女を縛りました。神野桜子の場合、財力が幸せの唯一の尺度だったので、金持ちの男性を漁っていましたが、お金はなくても誠意と才能のある男性(中原欧介:堤真一・演じる)を選びました。お金の呪縛から解放されたわけです。
 三橋歌織はついに「やまとなでしこ」にはなれませんでした。「白百合ならぬ鬼百合」ですね。現実は、ドラマのようには行きませんね。


今日のひと言:世相をよく映すドラマは、すぐれたドラマですね。


今日のひと言2:「女性は子どもを産む機械である」:柳沢伯夫厚生労働大臣の問題発言。これは勿論ゆがんだエリート意識が根底にある発言だと思います。女性を機械=もの扱いするのは、自分が女性より一段も二段も高いところにいる、という意識があるからです。東大法学部―大蔵省という典型的なエリートコースを歩いてきた彼なら、さもありなん、という感じです。私は東大工学部出身で、体験上ひろく東大生にはそんなエリート意識がありますが、東大法学部生にもっとも顕著に見られます。鼻持ちならないという意味で、東大のなかの東大が、東大法学部です。政治家になる頻度も高い。「片山さつき」なんかキャラクター的に代表的ですね。
 さて、ちょっと見方を変えます。人を「もの」どころか、「数字」に置きかえる分野があります。それは軍事の世界です。最近のイラク問題でも、ブッシュ大統領が「2万人の軍隊の増派」ということを唱えていますが、このような数字に置き換える感覚は軍事の世界では当たり前で、非人道的でもあるし、またそうでなければ軍人は務まらないのです。このような発想は男性が得意とし、女性は本能的にこのような発想を嫌います。だから今回の「女性は子どもを産む機械である」という発言に対しては、女性からの非難の声が多いのでしょう。
 まあ、軍事に限らず、経済学など、男性が発展させてきた分野では「人=数字」としちゃう傾向があるのもまた事実です。この発想は「支配者」側の発想であることに注意したいですね。戦争要員として、人の頭数をそろえる、といった発想です。
 私は老子荘子が好きですが、「生き物」を「もの」と表現します。これは柳沢伯夫のタイプのような「支配者」側の発想ではなく、みずからも「もの」の一人であるという認識に立った「被支配者」側の発想です。ましてや人を数字に置き換えるということはしません。





     *コンピュータ(詩)
  
男はある時、
捨てられた女を拾った。
その女を
男は「こころ」と呼んだ。
むかしの彼女の名だ。
「こころ」は、女の
基本的な扱い方を
教えてくれた。
でも「こころ」は
すぐに亡くなってしまい、
男は「こころ」の墓を用意した。


次の女を
男は「礼子」と呼んだ。
これも
むかしの彼女の名だ。
「礼子」は男を食わせるために
よく働いてくれた。
でも2005年の大晦日
過労がもとで亡くなった。
男は「礼子」の墓を用意した。


男が「礼子」に触れると
「礼子」は敏感に反応した。
2人でSEXを堪能した。
また
宿した子供は
確実に守ってくれた。


男は今
「文子」と
暮らしている。


 (野暮な詞書)もちろんコンピュータを女性に喩えています。そしてコンピュータを操作する行為をSEXに見立てています。キーボードを打つ動作が男性の役割、それを受けて実体化するコンピュータが女性の役割です。この記述は「象徴的な」男女――例えば易経(えききょう)の世界観のような――のことを言っています。コンピュータを操作するのが現実の女性であってもなんら齟齬はありません。この場合、コンピュータを操作する女性は「象徴的な男性」になります。なんだか紛らわしいけど、私の立場は柳沢伯夫とは立場が違うことを明言しておきますね。今日のひと言2で柳沢伯夫に言及しているので、余計紛らわしいですが。この詩で、女性の具体的な名は、私と実際に恋愛感情のあった実在の人物のものです。
  聞いたところ、Google(グーグル)は「全世界の情報を把握することを」目的としているそうですが、それは有り得ないと思います。コンピュータはあくまで受動的なものであり、能動的な「私」がキーボードをタッチするまでは、「私」の持つ情報は、把握できないのです。だから、世界の全情報をコンピュータの世界で網羅することが不可能なことが証明されるのです。 


英訳  * A Computer (poem)
  
A man at a certain time ,
picked up A woman who was thrown away.
The man called  the woman “heart”.
It is the name of the  former sweetheart.
As for “heart”,
How to handle a woman basically,
She taught him it.
So as for “heart”
She died soon,
The man prepared the grave of “heart”. 



The following woman
The man called “Reiko”.
This too
It is her name of the former sweetheart.
As for “Reiko” ,to sustain the man
she worked hard and hard.
So New Year's Eve 2005
Overwork killed her.
The man prepared the grave of “Reiko”.



When the man touches “Reiko”
“Reiko” reacted sensitively.
SEX skill was done with 2 people.
In addition
As for the child whom   we had,
She protected securely.



The man now
With “Fumiko”
He has lived.