虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

私の畑作作法(土シリーズ その2)

iirei2007-01-28

 *私の畑作作法(土シリーズ その2)
  (土シリーズ2回目。全4回。途中インターミッションが2つ入ります。)
  雑草と見まがう野菜たち。オブジェはコンポスター →
 私の畑作はかれこれ20年の歴史を刻みましたが、現在の畑作作法には幾つかの特異な点があります。列挙してみましょう。
1. 基本的に耕起はしません(耕しません)。これは以前読んだ「家庭菜園の不耕起栽培〜〜楽しさおいしさ2倍増「根穴」と微生物を生かす」(水口文夫:農文協)の教えを守っているからですが、耕起をする代わりに、作物、雑草の根を残し、それを以って耕起とするのです。植物の根自体が肥料にもなりますし、腐ったあとは空気が引きこまれるのです。太田市中央図書館の本の紹介にはこうあります。

春と夏の耕うん・うね立ては重労働。耕さずに同じうねに連続栽培する不耕起栽培に挑戦してみませんか。次々と連続栽培でき、おいしさ絶品の野菜つくりが実現するそのノウハウを詳しく紹介します。

なお、著者のプロフィールは

1930年愛知県生まれ。50〜85年、愛知県農業改良普及員として農業指導、研修事業に従事。その後、露地野菜と果樹を中心に農業を始める。著書に「図解60歳からの小力野菜つくり」ほか。

ふーん、正規の農業指導員をしながらいろいろ考えて実践していらしゃったようですね。指導していたのは、立場上化学肥料・農薬・農業用機械を多用する農法だったのでしょうね。その間のストレスはいかばかりだったか。
2. こぼれ種を活かします。たとえばエゴマ、キクイモ、フダンソウ、おかのり、バイアムなど、前期に栽培した作物の種が発芽した場合、その箇所は、その作物を栽培し、余ったスペースに他の植物を栽培します。
3. 雑草(野草)も作物とみなすことがあります。たとえば、ハコベイヌビユスベリヒユ、アカザなど。1.に照らしあわせると、雑草(野草)の根にも耕運作用があることになりますね。
4. 畝(うね:ライン)は作らないことがあります。作業性を無視するのです。

ちょっと特異で、ある意味受動的な畑作ですね。あたかも雑草のように野菜を作る農法とでも言えるでしょうか。
もとはと言えば、四国の愛媛県在住・自然農法家の福岡正信氏(マグサイサイ賞:アジア人に贈られるアジアのノーベル賞ともいえる賞:受賞)の自然農法――不耕起・無肥料・無除草・無農薬を標榜する・・・に憧れていたことに遡ります。私以外にも、福岡氏の農法に挑戦してみたり、福岡氏に弟子入りしたりした人は多いですが、なかなか福岡氏のように実践できない例が多数ありました。それは、多分に福岡氏の考え方が哲学的に過ぎ、具体的な農法は各自が編み出さなければならなかったからだと愚考します。
 私の場合「家庭菜園の不耕起栽培」を知ることにより、自然農法のうち不耕起・無農薬は実践できるようになりました。除草については、借りた畑でもあり、周囲の目が厳しいので、やっています。でも、家の庭ではほとんど無除草で、いろいろな作物を栽培しています。この農法の場合、植物の根を地中に残すことにより、地中の通気を良くし、根が腐ることによる肥料効果が期待できるのです。案外そのようにして運用した畑は、耕さなくてもフカフカしています。


今日のひと言:農法にもいろいろあり、一人一人違っていてもいいんじゃないだろうか。
       私の農法は水口氏とも福岡氏とも違うよ。


福岡正信: 自然農法家。1913年愛媛県生まれ。横浜の検疫所で働いていたとき、山下公園をそぞろ歩きしていた際、「人間は、実はなにもしていない!」と悟り、それを実証するべく職を辞して帰農する。彼の農法の特徴は、不耕起、無除草、無肥料、無農薬を実践することにある。人為を排除した農法である。その発想から一部で「現代の老子」とも評される。アジアのノーベル賞とされるマグサイサイ賞受賞。

 著作としては「自然農法・わら一本の革命」「自然に還る」などがある。