虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

恋の二股掛けはNG!!(散文詩)

私の恋愛遍歴  その2


私の初恋の相手は、淫乱な女性でした。彼女はマンガクラブに「男漁り」をしに来る人で、彼女の「毒牙」に噛まれたのは、五指に余るクラブ員にのぼります。私はそれを知っていたので、距離をおいていましたが、東大五月祭の打ち上げコンパのおり、何か私に対し、感じることがあったのか、会場をでたとき、「キャベジン!!」(これは私のペンネーム)といいながら、彼女はキスをしようとしました。私は「マジか?」と問い、彼女は「本気よ」と答え、私はキスに応じました。ちなみに彼女のペンネームは「ニャンコ」といいました。なお、東大マンガクラブでは、他大学の学生、特に女子大生の入部は無審査で自由でした。ニャンコも他大学の学生でした。


そして、私は、それまで女性を必要としていなかったのですが(ただ特定の女性ではなく仮想的な女性を想っている・・・ちょうど竹内まりやの「ドリーム・オブ・ユー:レモンライムの青い風」という曲に例えられるような、音楽的感性で。描いたマンガも、女性の登場がほとんどないマンガ作品でした。)彼女と、上に書いたやり取りがあったあと、ちょうどヨガでいうクンダリニーがむくむく頭をもたげてきました。私たちはそれから数日後もう一回別の場所で少一時間ほどディープキスをしました。お互いを称えあいながら。その日のあと、ニャンコは「あのままSEXしても良かったのに・・・」と言っていました。


ドリーム・オブ・ユー:レモンライムの青い風」(カラオケ)


でも、私には青春の悩みがありました。「このままマンガクラブ員を続けていいのだろうか」「なにか社会的に発言するべきではないか」と。そうこうしているうちに、他の某クラブ員から私のマンガ作法を悪しざまにいう声があがり、そんなこと言うなら、クラブを辞めてしまえ、と思ったのです。夏のことでした。


その行動は、ニャンコにとっても、青天の霹靂でした。絶望のあまり、リストカットもしたらしいです。私は「優しくなること」をニャンコに約束していましたが、「それは叶わなかった、俺は馬鹿だ」と部誌に書きましたが「これほど強く想っていてくれたなんて・・・」と彼女は言ったそうです。


私は、このことがあってから、たいそう落ち込み、鬱状態になりました。「私はピアノ」(桑田佳祐・作詞・作曲、高田みづえが歌う)のどん底の曲を聴いていました。真冬のことです。「レモンライムの青い風」のような軽妙な曲ではなく、演歌なみに重々しい曲でした。ある日、どうしても彼女に会いたくて、毎週土曜日の夜、マンガクラブ員が渋谷に繰り出し、コンパをしていたので、来そうな時間、また場所に行っていたところ、ニャンコは、他のクラブ員となにやら「楽しそう」に歩いてきました。この事実は、私になにやら、彼女への疑念を植え付けたとも思います。私は、そそくさと、彼女には目にはいらないようにその場を後にしました。


「私はピアノ」


私は、退部後、元気を取り戻し、ニャンコに逢いました。ただ、その次に逢う頃には、私は市民運動家になっており(それが優しさの表現)、生活の安定なんて保証されない男とくっ付いてもしょうがないと思ったのでしょう、べつの機会に喫茶店で逢った際、男性をひとり連れてきました。そして、この男性は、ニャンコが世の中に絶望して自殺しようとした際、慰めてくれたというのですね。そして、ニャンコは私の話をまったく聴きませんでした。(もっとも、ニャンコはこの男性と結婚したわけではありません。)


「解った、好きにするがよい、その彼となかよくやるんだな、男を舐めるな!」と言って私は店を出ました。このやり取りは、春の頃ありました。ここに、例の渋谷の件が大きく利いていたのですね。もし、あの時の楽しそうな表情を見ていなければ、こうもあっさり彼女を振れなかったでしょう。


思えば、初対面でお互いに恋愛感情がないとき、「理想の生活とは何か?」・・・と二人して部室で話し合い、「僕はpoor(貧しい)な生き方を選ぶね」、と言ったらニャンコは「私はrich(裕福)な生き方をえらぶわ」と言っていました。その意味するところがなにか、さらに話し合うと、「同じことを言っているのだね」とお互い納得したものです。でも、実際には、二人の進む道に、共通点などなかったのです。


ニャンコは、理想の男性を求め、SEXでそれを確かめる、というスタンスを取っていましたが、私はその範疇に入らなかったようです。いわく「私はSEXすることで理想の男性を探していたのに、もっとも私に合う人にはそれが元で嫌われるなんてT_T」と部誌に書いていましたっけ。ニャンコを頭から占め出すには、私にもそうとうな期間が必要でした。


そんなわけで、私は市民運動・自主講座の一員になりましたが、そこに居たメンバーのなかの紅一点・Yさんは、外見、ちょっとニャンコに似ている子で、ニャンコというあだ名をつけても、なんら不思議はなかったのです。しかし、社会変革を志向するエコロジー派の女性でした。某女子大学の栄養学科に通っていて、「水」を「食べ物」と考えるユニークな発想のもとに、卒論に取り組んでいました。私はYさんに猛アタックし、彼女の心を私に引き寄せましたが、そのときです、竹内まりやの曲「イチゴの誘惑」を聴いたところ、私はみるみる落ちこんでいきました。ニャンコとの短くも楽しく、官能的な過去がフラッシュ・バックしたのです。


イチゴの誘惑


いま目のまえにいるYさんではなく、過去の女性に対して落ち込んでしまったのです。一人の女性について2度も落ち込むなんて、それまでもそれ以後もありませんでした。そして、その陥穽から抜け出したときには、Yさんには恋人が出来、妊娠していました。こうなったら、私がそのカップルの間に割り込む余地なんてありません。こうなったのも、私の不実が原因だったのですから。


なぜ、今現在を大事にしないのか、また、2人の独立した人格の持ち主を、一方を従属的に扱ったのか、私の大きな蹉跌です。「貴女は、むかしの彼女に似ている」と言うのは、そう言われた女性にとっては、腹の立つことなのでしょう。「私は、私。そんな過去の人を見る目で私を見ないで!」ということですね。因みにYさんと破局した時には「ルビーの指環」(松本隆・作詞、寺尾聡・作曲)を聴いていました。



ルビーの指環」(カラオケ)



数学に、「中間値の定理」という根本定理があり、たとえば、平面上のグラフの値がマイナスからプラスに変わるとき、またプラスからマイナスに変わるとき、かならずどこか中間で「0:ゼロ」を取るということです。方程式の実数解は、この零点になることになりますね。恋の落胆と高揚は、このように、必ずそれらどちらでもない値を取るのですね。空元気が下降するとき、また元気に向かって上昇するとき。この「0」という点は、その意味で貴重です。



失恋のおくすり (アスペクト文庫)

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山下達郎・竹内まりやの謎

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Mariya's Songbook(初回盤)

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今日の料理


@切干にんじんの炒めもの



弟が買ってきた「切干にんじん」を「切干大根」のように作ってみました。乾燥していると少なく見えますが、にんじんの4本分くらいの分量の品を、JAでは130円くらいで売っていたのです。太っ腹だなあ。添加するのは油抜きした油揚げ半分。砂糖+醤油+かつお出汁で調味し、しあげに七味唐辛子を加えました。にんじんの馥郁たる香りが鼻腔をくすぐるのです。

 (2014.05.20)




@なったら





パック詰めの納豆と、たらこ1/2腹を合わせてご飯に乗せてみました。相当納豆のほうが強いですが、それなりの珍味でした。

 (2014.05.21)



@ウルイと春菊のサラダ・酢ミョウガ添え






山菜のウルイギボウシ)が収穫できるようになりました。おりから間引きながら収穫できるサラダ用春菊(タキイ種苗の「菊祭」)が伸びました。そこで両者に塩を振り、辛めになりすぎる前にちょっと洗い、ウルイと春菊を適当な大きさに切り、酢に漬けていたミョウガを添えました。ウルイは生ではちょっと癖があるので、酢ミョウガを合わせるのも良い感じです。

 (2014.05.22)