虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

曾我蕭白(そがしょうはく)とピカソ〜美しくないアート

以前、ある方とピカソの絵のあり方について対話しました。

はじめまして。私もクレーの「戦闘のシーン」から、クレーファンになった口です。
 よくピカソクレーは比べられるようですが、私はピカソの絵には「美」を感じないため、クレーの評価の方が高いです。
 過去ログでクレーを取り上げていますので、一読してくださいませ。

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090426
by 森下礼 (2009-06-29 14:52)



コメントありがとうございます。
記事を読ませて頂きました。「船乗り」の波が「まるで寒天」とは、私も初めて見た時からず〜っと思い続けていましたよ!
同じ事考えてたなんて、なんだか可笑しいですね。

ピカソの絵には私も「美」はあまり感じませんが、そのかわり強いエネルギーを感じます。
鑑賞者に、何らかの強い感情を呼び起こさせる作品が優れた芸術作品だと私は考えるので、私的にはピカソもクレーもどっちも評価高いです。
(気が多いだけかも?!)

by S美 (2009-07-01 00:08)         

http://satomi-noanoa.blog.so-net.ne.jp/2009-02-03
「読む・観る・考える」より。


なるほどなあ〜〜という返答で、目からウロコ、納得しました。ピカソの絵は、「美しい」というより「何か不気味な存在を感じさせる」絵であるという具合です。そのような画家(絵師)が日本にもいました。江戸時代中期の曾我蕭白(そが・しょうはく)です。1730−1781。京都の染物屋の跡取りとして生まれますが、彼が10代のころ両親ともに亡くし、妹を除くと天涯孤独な立場に追い込まれます。これからあとの苦労が、彼に「世を拗ねた姿勢」を付与するのだと思います。


Wikipediaによると

蕭白の特徴は、部分の細密で精確な描写能力と対象の動性の的確かつ大胆な把握にある。構図における大胆な空間把握、顔料の性質を熟知した上になりたつさまざまな独創に支えられた鮮やかな彩色は、相共に強烈な不安定さを生み出し、見るものを魅了しまたおののかせる。江戸時代の画史においてすでに「異端」「狂気」の画家と位置付けられていた蕭白の絵は、仙人、唐獅子、中国の故事など伝統的な画題を、同じく正統的な水墨画技法で描いていながら、その画題を醜悪、剽軽に描き出すなど表現は型破りで破天荒なものであり、見る者の神経を逆撫でするような強い印象を与えずにはおかない。


どうです、画風がピカソとよく似ているでしょう?

以下、代表的な絵を4つ挙げます。出典は「もっと知りたい曾我蕭白 生涯と作品」(狩野博幸東京美術 2008年4月30日 初版第1刷発行)


「鬼女」  あまりにスサマジイ形相を描き、恐がった人が破ったらしい。22P


「群仙図屏風」  生々しく、枯れていない仙人たち。41P


「蹴鞠寿老人図」  尾形光琳の「蹴鞠布袋図」のパロディ。寿老人の長い頭が見かたによっては布袋の腹に見えるといったことを示した絵。錯視の応用。73P


「狂女」  恋人に振られ、その手紙を引きちぎりながら素足で歩く。妊娠中?74P



今日のひと言:世を拗ねた人、と言ってみても、画家たる存在、ある意味で「世捨て人」でもありますから、なにも曾我蕭白が例外的というのではないですが、彼の場合、特にそんな感じを受けます。世俗的に受け入れられる美しい絵を描こうという意識もあまりなかったのかも。そのような画家を持ち上げるNHKも、何か変だと思います。(ボストン美術館 日本美術の至宝展)



今日の一首


我は今
百合花摘みし
きっぱりと


冬の根塊
食べんがため



私が栽培しているのは、食用の種類「銀鱗」で、このころ咲く花は摘まなくてはなりません。でなければ、球根が細るのです。

  (2012.06.24)



今日の一句


アメンボ
跳ねると見えし
交尾かな


 水田のそばを歩いていて、アメンボが変な跳躍をしていたのを見て。二匹がくんずほぐれつしていた訳。
  (2012.06.26)


ギョッとする江戸の絵画

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奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)

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別冊太陽 河鍋暁斎

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