虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

日テレアナウンサーがキャスターになれない訳

*1180910382*日テレアナウンサーがキャスターになれない訳
 土曜午後10時の「ブロードキャスター」(TBS系)を見ていて、メインキャスターの福留功男はどうにかならないのか、といつも思っている。独自の見解を披露するのでもなく、おなじく独自の見解のないゲストたちとの間で無難に進行役を務めているだけではないか。彼の場合、ニュースキャスターとは言えないのではないか。そういえば、他の日本テレビ出身のキャスター・徳光和夫の場合も、同じような印象を受ける。そこでいわゆるキャスターの著作を調べようと図書館に行き、徳光和夫久米宏筑紫哲也の文集を借りてきた。(福留功男の著作はなかった。)
 徳光和夫の「ズームイン!!巨人軍」(1984年:旺文社文庫)。自他ともに認める巨人ファンの徳光和夫だから、このようなタイトルの本を書くこと自体意外ではない。ただこの本を読んで思ったのは、徳光は「あくまで巨人ファン」であること。まあ、王貞治とか長嶋茂雄とサシで話ができるので別格とは言え、「あくまで巨人ファン」である。だが、思ったのは、玉木正之とか二宮清純なら、この本のように巨人べったりのスタンスは取るまい、ということ。彼らは「スポーツジャーナリスト」であり、批判的精神がなければ拠って立つ場をなくすだろう。批判的精神を持つこと、すなわちジャーナリストの証である。
 そうすると、徳光和夫の場合、アナウンサーではあっても、ジャーナリストではないのである。
 久米宏の「こんにちは、久米宏です」(1989年:ケイブンシャ文庫)。これは彼らしく洒脱なエッセイ集であるが、このなかで「エッ、ウソー、ホント?、カワイイ!!」という決まり文句を使ってコミュニケーションをすませてしまうギャルたちの、内面の空洞化の懸念を述べている部分がある。少なくても、久米宏は批判的精神を持ち合わせているのが読取れる。アナウンサーとして出発したが、ジャーナリストの素養もあるのだ。だからこそ彼は「ニュースステーション」で一世を風靡したのだ。
 筑紫哲也の場合、もともとジャーナリストであり(政治部)、彼がしゃべることで(少々口下手だが)キャスターにすぐなれることは明らかだ、と私は思う。借りてきたのは「日本23時 今ここにある危機」(1997年:小沢書店)いかにもジャーナリストらしい内容だ。
 つづめれば、「ニュースキャスター=ジャーナリスト+アナウンサー」ということになろう。両者の要素が必要になるが、キャスターとして絶対不可欠なのは「批判的精神」だと私は思う。批判的精神とは、別の言い方をすれば「固有の客観的な視点」である。巨人ファンそのものに埋没しているようでは、固有の、良い意味で客観的な視点は獲得できまい。キャスターは、視聴者の代表であってはならず(福留功男は代表)、視聴者に働きかけられる存在でなければならないだろう。
 日本テレビからはキャスターが誕生していない、ということのメカニズムについては、日本テレビの社風、新人育成法などの情報が不可欠だが、入手困難である。結果として見ると、「批判的精神」は培われていないようである。




今日のひと言:以前「ブロードキャスター」でコメントやってたフィールズさんは良かったなあ。彼がメインキャスターならいいのに。



今日のひと言2:平日午後5時から7時までの民放ニュース、最近は局名を書いたカードをシャッフルして選局しています。午後6時18分くらいの特集になったら、各局を較べて、ニュース性の高い特集を見ます。その際、もっとも見ないのは日本テレビです。おおむね愚にもつかない食特集を組む率が最大だからです。それに次ぐのがフジテレビ。あんまり視聴者のつまらない要求に迎合するな、と言いたいですね。

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