*ど根性ダイコン 再び
以前のブログでも触れたが(http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060126)、兵庫県相生市で行なわれている茶番(ど根性ダイコン)の深層に迫ろうと思う。
おそらくは野菜であるダイコンの種が路上に落ち、それが発育してかなり変な形のダイコンが見付かったのがはじまりであろう。それが何者かによって折られたので、相生市の市民、職員たちがよってたかって再生手術をしたのであろう。
テレビを見たら職員が「この再生プロジェクトには3億数千万かかりました」と涼しい顔で発言していた。私が警察署長なら、すぐさまこの男の逮捕状を請求するぞ。「そんなくだらないことに多額の血税を使いやがって」、と。税金泥棒だ。
そして市民の側の問題。「ど根性ダイコン」程度なら、別にあまたある野草も生命力は持ち合わせている。ではなぜこうまで話題になるか――それは「ダイコン」と「身障者」を重ねてみているからである。変なダイコンを憐れんで見ること=すなわち身障者を憐れんで見ること、だからである。蔑視しているのだ。それはそれで市民たちにとっては快感なのだ。「私って、こんなに優しいんだ」と自己満足している。
このような「ど根性ダイコン」の背景こそが実は差別しているのに、それが主観的には良いことであると考える温床になっているのだ。そしてこのダイコンは夢の生物工学の格好の宣伝材料にもなっている。
ダイコンなんて一本100円、市場価値のない「ど根性ダイコン」は3億円超。この差は社会の異常さの反映である。差別語は使わなくても、差別は厳然とあり、この差別こそが厄介なのだ。
今日のひと言:世の中には本当に「バカ」と呼ぶに値する者は多いぞ。オレのようにね。