虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

中国の傲慢さの起源:朱熹と王陽明〜格物致知を巡って

近世の中国のバックボーンになった新しい(ヌーヴェル・ヴァーグ儒教。中でも朱熹(しゅき:朱子)と王陽明が重要です。四書五経のうち「大学」にある「格物致知:かくぶつちち」が後代の儒家に与えた影響は大きく、まずはこの言葉を分析すべきでしょう。(なお、「格物」・「致知」は、べつの意味のことばでしたが、朱熹がくっつけて新しい言葉にしたようです。また、四書のうち、「大学」と「中庸」は、礼記(らいき)から独立させた書です。)


 まず、朱熹(1130−1200:南宋儒学者朱子学の祖)においては、物事の筋目を推し量り、そして知に至るという意味が「格物致知」です。そして、「理」を重視します。それで、この際、老荘思想とか禅のように「頓悟:とんご」(突然に悟りに至ること)を設定する教えを否定し「漸悟:ぜんご」(経験を積み上げるようにして悟りにいたること)を肯定します。・・・この見解には私は不満で、秀才でしかない朱熹が天才を否定しているように見えます。


 そして、朱熹の教えが浸透し、明の国教になるほどになってしまうと、その教えは活力を失い、体制擁護の思想=偏見になってしまうように見えます。例えば、以前、井沢元彦さんが「逆説の日本史」のなかで書いていたと思いますが、周囲の異民族は全て中国より劣った人種である、という「中華思想」は、金とか元の異民族に圧迫されていた南宋朱熹が「漢民族」の誇りを保持するためにでっち上げたというお話が展開されています。その意識が現代でも生きているのですね。つまりは、劣等感の裏返しなのです。実際の中国人は、「山猿」「お山の大将」なのだと思います。


 そしてそれから300有余年経って、王陽明(1472−1529:明の儒学者陽明学の祖)は、最初、朱子学に忠実であろうとし、竹の筋目を目を凝らしても「理」は発見できず、朱熹の学説に疑問を持つに至ります。そして軍人でもあった彼は、各地に逆賊の平定に赴きますが、それら苦労の賜物として朱子学ではない、あらたな儒学体系、陽明学を生み出します。ここでは朱熹のいう「理」ではなく「心」が重要とされます。なお、王陽明は必ずしも老荘思想、禅を否定しませんでした。このスタンスからしても、朱熹の学説と王陽明の学説は相容れないことが解ります。


彼が生み出した概念として重要なのは「知行合一」・「致良知」です。朱子学の場合、「まず調べて知ってから行動に移す」という感じの教えですが、王陽明は、そのようなまどろっこしい態度を否定し、「知るのと行動は一体でなければならない」としたのですね。また、「致良知」は朱熹のいう「格物致知」を王陽明なりに整理した概念と言えるでしょう。格物致知については、朱熹が「物にいたって知識をきわめる」と読むのに対し、王陽明は「物をただして良知を致す」と読むのです。



「物」とは何か。わが心の発動している場そのものである。朱子のいうような客観的に対象化された「物」ではない。

  「世界の名著 続4:朱子王陽明中央公論社」P68より


 朱子学は「静的」な思想、陽明学は「動的」な思想とも言えるでしょう。特に陽明学は、社会変革を起すための起爆剤であったように思います。そして朱子学は現状肯定の思想。それが証拠に、江戸幕府の統治下における国教は朱子学でした。


以下、wikipediaより(格物致知についての切り抜き)

重視されるようになったのは程頤(1033〜1107)が格物を窮理と結びつけて解釈してからである。彼は自己の知を発揮しようとするならば、物に即してその理を窮めてゆくことと解釈し、そうすることによって「脱然貫通」すると述べた。


南宋朱熹(1130〜1200)はその解釈を継承し、『大学』には格物致知を解説する部分があったとして『格物補伝』を作った。ここで格は「至(いたる)」、物は「事」とされ、事物に触れ理を窮めていくことであるが、そこには読書も含められた。そして彼はこの格物窮理と居敬を「聖人学んで至るべし」という聖人に至るための方法論とした。この時代、経書を学び、科挙に合格することによって官僚となった士大夫に対し、格物致知はその理論的根拠を提供した形である。しかし、格物は単に読書だけでなく事物の観察研究を広く含めたため、後に格物や格致という言葉は今でいう博物学を意味するようになった。


近代になり、西洋から自然科学を導入するに際して格物や格致が使われたのもこのためである(ちなみに日本では窮理から理科や理学の語を当てたと考えられる)。


一方、明代中葉の王守仁(王陽明、1472〜1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、格を「正(ただす)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした。ここで格物致知は自己の心を凝視する内省的なものとされた。また清初の顔元は「格物」を「犯手実做其事」(手を動かしてその事を実際に行う)とし、そうすることによって後に知は至るとした。ここで格物致知は実践によって知を獲得していくこととされている。


今日のひと言:日本で最初に陽明学を受容したのは中江藤樹ですが、この教えから多くを読み取り明治維新の礎石となった吉田松陰は、まさしく陽明学の学徒でしたね。「知行合一」、「致良知」を地でやっています。その教えは江戸幕府を滅ぼすという主張において、実にヴィヴィッドなのですね。それは朱子学から陽明学へと大きく舵を取ることでありました。


朱熹の名言:少年老いやすく、学成り難し。


王陽明の名言:山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。



朱子学と陽明学 (岩波新書 青版 C-28)

朱子学と陽明学 (岩波新書 青版 C-28)

基礎からよく分かる「近思録」―朱子学の入門書

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王陽明「伝習録」を読む (講談社学術文庫)

王陽明「伝習録」を読む (講談社学術文庫)




今日の料理


@茗荷(ミョウガ)料理4題


  @1   スライスした茗荷に醤油をかける


  @2   スライスした茗荷を卵とじにする




(右:卵とじ  左:醤油かけ)



  @3   スライスした茗荷を塩麹漬けにする






@1は、野趣横溢な味で、@2はマイルドなミョウガを味わえます。@3もまろやかな味になります。

  (いずれもブログ友からの情報から作りました。)

(2014.09.03)


 @4  スライスした茗荷の佃煮





 これは以前も作りました。日持ちしますが、醤油+砂糖で煮ると、案外量が減ります。10分の1くらい?ちょっと風味は飛びますが、茗荷らしい味は保持しています。

 (2014.09.04)




お好み焼





どんな具を入れても良いお好み焼き。たまに昼食で食べます。今回は小麦粉+卵一個+水の溶いたものに、キャベツ数枚、ミョウガ一個、ピーマン3分の1個を入れて焼きました。肉は、豚バラ肉をはじめに敷きます。今日は具材が少な目でしたが、急いでなければ、クコの実、シーフードなどを入れます。焼きあがったら、皿に乗せ、パルメザンチーズ、青いタバスコ、カツオ節削り、アオサなどをトッピングし、最後に「オタフクお好みソース」を掛けます。

 (2014.09.02)

 




今日の詩



空き地のソネット






また発見
空き地に
アスファルトを敷きつめ
駐車場に


これこそ愚かな行為だ
なぜなら
駐車場にすると
他の用途には使えない


空き地なら
使用の用途は多様だ
子供の遊び場にもなる


なんでも舗装しなければ
気が済まぬのは
人間の業か?


こう言った、目的別に土地を割り振るのを、都市計画では「ゾーニング:zoning 」と言いますが、私はこの発想に「否」と言います。

 (2014.09.04)




今日の一句





倒伏し
波を作れる
藺草(いぐさ)かな


道々に生えている藺草が、最近の風雨で一部倒れていましたが、それなりに美しいですね。

 (2014.09.04)