都市というのは、吸血鬼のような生理を持っていると思います。吸血されるのは、田舎(いなか)。田舎にある宝物を貪欲に取り上げ、浪費する都市。これはいろいろな物、サービス、さらには人間についても成り立ちます。
私の中学・高校時代の同級生は、東京23区内に住み、大企業で働いていますが、田舎の父母を呼び寄せ、もとの地所は売り払ってしまったそうです。様々な利便性のある都会には、人が集まるのですね。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」の心象風景ですね。・・・テレビも車もない、極めて不便だ・・・というような。
とにかく、田舎に比べ都会には仕事が多い。私は3年ほど前、「校正」の勉強をしてコースを修了したのですが、とにかく地元では仕事がない!!・・・この技能は封印されることになりました。それほど、サービス産業が充実している分、都会は人を引き付けるのですね。
また、ライフラインである水道とか電気も、田舎を犠牲にして送られてくるのですね。水道のためのダム、電気のための原発などが頭に浮かびます。農畜産物もそうです。都市民は、これらの商品を「消費」することで生活するのです。そこで出来る廃棄物・排泄物は、その都市の清掃局や下水道局あたりが処理するのです。3.11後、この都市生理の見直しが迫られていると思います。
この生理を差別だとして、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所 助教)が以下のように書いておられます。
今回の福島第一原発事故が事実として示しているように、原発事故は破局的な被害を生じさせます。私自身はそのことを40年以上にわたって警告し、一刻も早く原子力を廃絶させるべきだと主張してきました。しかし、原子力を推進している人たちにしても、専門的な知識を持っているので、破局的事故が起きる可能性があることは知っていました。だからこそ、彼らは原発を人口密集地帯ではなく、過疎地に押し付けてきました。
(中略)
もともと、大量の電気は東京などの大都会で消費するもので、どうしてもそれが必要だというのであれば、原発も都会が引き受けるべきです。自らが引き受けることのできないリスクを抱えた機械を他者に押し付けること、そのこと自体が差別です。
「この国は原発事故から何を学んだのか」(幻冬舎ルネッサンス新書(2012年)
P211−P212
以上の生理のうえに、建築家が威圧的なビルを建てるのですね。私には東京都庁舎は、威圧的なカトリックの教会のように見えます。2本の尖塔つきの。「人民を威圧し、感服させたい」という心理が見えると思います。そして、東京都庁舎について調べてみると(wiki)
丸の内の旧都庁舎は、1970年代には建物の老朽化、狭隘化、分散化といった問題が発生しており、解決が望まれていた。1979年に都知事に就任した鈴木俊一は都庁の新宿移転を強力に推進し、1985年9月に都議会で”東京都庁の位置を定める条例”が可決され新宿副都心に建設されることが決定された。同年10月末には指名設計競技参加者が決定、翌1986年4月に丹下健三(構造設計は武藤清が担当)の設計案が選ばれた。
1988年4月着工、1990年12月完成。翌1991年4月1日に丸の内の旧庁舎から移転し、都庁としての業務をスタートした。第一本庁舎、第二本庁舎、都議会議事堂の3棟からなり、東京都の行政の中枢機能を担っている。
旧淀橋浄水場跡地の再開発により誕生した新宿西口の超高層ビル街区の中央から西南側に位置し、都庁舎は1、4、5号地の3ブロックを占めている。1号地には第二本庁舎、4号地には第一本庁舎、5号地には都議会議事堂と都民広場がある。また、第一本庁舎と第二本庁舎は、西側の新宿中央公園に面している。
ここで注意したいのは、設計は「丹下健三」氏であること。この人は、建築学会では知らぬ人もない有名な方で、私の出身学科・東大都市工学科の教授をやっていた人です。
これもwikiより
丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日 - 2005年(平成17年)3月22日)は日本の建築家、都市計画家。一級建築士。
「世界のタンゲ」と言われ、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。また磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの世界的建築家を育成した。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章受章。フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章。カトリック教徒(洗礼名:ヨセフ)。
ただ、この人、自分のやった設計の変更は決して認めず、使う人の使いやすさは無視した人です。「西日の当たる図書館」という異名のある図書館を設計して、苦情は無視するような人でした。
今日のひと言:建築家というのは、案外杓子定規で、融通の利かない人が多いと思います。昔、「都市美運動」という運動があったそうです。都市が宿命的に持つ、(町並みについての見た目の美しさではない、)「醜い」側面は度外視した運動だったようです。それこそ、私が問題にしている収奪問題なのです。
以下の過去ログを参照くだされ。
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060708
:「美しい景観」とは
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110520#1305890886
:建物の左右対称性と権力・・・官製建物と民間建物
この国は原発事故から何を学んだのか (幻冬舎ルネッサンス新書 こ-3-2)
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群像としての丹下研究室―戦後日本建築・都市史のメインストリーム―
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今日の料理
以前、わが家では鶏肉を調理する際、よく醤油で煮ていたのですが、これでは醤油がもったいないということで、水炊きにしたあと、ペペロンチーノの調味料とかクレイジーソルトで味付けしています。その要領で、今回は「ゆかり」を使って味付けしてみました。ゆかりとは、乾燥赤シソと塩をまぜた調味料の一種です。お弁当のご飯に混ぜたり、オニギリを味付けするときなどに使います。・・・かなり美味しかったです。
(2013.04.27)
今日の一句
ウコギ飯
飢饉に耐える
妙案か
上杉氏が外様大名として封された米沢藩では、それまで頻繁に起こっていた度重なる飢饉にいろいろな対策を取りましたが、「糧物:かてもの」という発想が重要で、例えば家の垣根にウコギを生やすことを奨励し、いざとなればウコギを刻んでご飯に混ぜて食べさせていました。上杉鷹山の施政後、飢饉で死ぬものはいなかったとか。ウコギは、ウド、タラ、コシアブラ、朝鮮人参などを含むグループの代表格の植物です。写真は暗いできあがりになってしまいましたが、わが家では七部搗き米を食べているので、一層暗く見えてしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090824#1251092373
:上杉鷹山と「かてめし」(かてもの) 参照
(2013.04.26)