北枕 むっくり起きれば 王者さま
この句(↑)は、季語がないので俳句ではありません。むしろ川柳に近いですが、川柳ほど軽薄ではありません。
いわば分類不能な詩です。これは2007年くらいに書いた詩です。
そもそも、「北マクラ」は縁起が悪いとか・人が亡くなったときにのみ頭を向かわせる習慣がありますね。そこでWikipediaで調べてみると、
仏教の祖である釈迦が入滅の際、北の方角へ頭を置いて横になった“頭北面西”(ずほくめんさい)といわれることから来ている。これは仏教が将来、北方で久住するという考えから“頭北”が生まれたものである。ただし、この説は北伝の大乗仏教のみで後代による解釈でしかない
日本では釈迦の故事にちなみ、死を忌むことから、北枕は縁起が悪いこととされ、死者の極楽往生を願い遺体を安置する際のみ許されていた。
ざっとこんなところなのでしょうね。でも、釈迦が北を頭にしているという姿は、むしろ北が聖なる方角を示すというようにも考えられないでしょうか。考えられますよね。
ただ、私は中国哲学の発想により、この俗説を否定します。王様は南に向かう(君子南面)といういい回しがあり、もし北マクラで寝ていたひとは、むっくりと起きるたびに「君子南面」することになりますね。
これは、とても楽しい体験なのだと思います。たとえ、その行為をした人が庶民であっても。
また、陰陽五行論では、北の守護神は「玄武」:亀と蛇が融合した生物で、四方を守る青龍、朱雀、白虎、玄武とあるうちの最強の生物であると思われます。(これらを四神と呼び、4だから5には一つ足りません。それは「裸虫(らちゅう)」と呼び、中央にいる人間のことを指します。)
さらに、能の世界では
http://awaya-noh.com/modules/pico2/aun/aun_7/kunshi.htmlより。(粟谷能の会)
「君子南面す」と言う。昔、君子は南に向って坐すものとされ、従って能舞台は北に向っている。然し、シテが曲の上で南に向わねばならぬ時、君子にお尻を向けることになってしまう。それでは失礼に当ると、喜多流は舞台で演じる時、目付柱の方角を北とし、笛柱の方角を南としている。観世流は全くその逆をとり、シテ柱の方角を西としている。
能は、武家社会に浸透した芸術、主の殿様にこれほど気を使っていたのですね。やはり「北」がキーワードです。
なお、同工異曲の作としてこんな詩も書きました(これも2007年作):
タエコは玉座に座り。南面して君臨する。
タエコはイヌの女王だ。
そして玉座と言うのは――
壊れかけ、草のシーツをしいた座椅子。
私もたまに座ることがある。
(タエコとは、ウチの飼い犬です。)
今日のひと言:人は、俗説を信頼しているのか、あるいは無自覚なのか、一体なぜつまらない縛りに囚われてしまうのでしょう。
たとえば歯の健康にかんする情報で、一晩寝ると、口腔のなかの細菌が3倍に増える、だから歯磨きしなくちゃだめという話になるのですが、これら細菌は体に有益であるかも知れないとは?・・・そんな議論はありませんでした。ものごとの一面しか見ない人間の誤謬ですね。「細菌」は体に悪さをするものばかりではないのです。
たんぽぽの
上に蜜柑を
そっと置き
隣家のおばあさんの孫でもが、こちらの庭に生えているたんぽぽに蜜柑の実をひとつ
いたずらにと置いたのでしょう。でも、たんぽぽの上の蜜柑というのも、なかなか美しかったのでした。まるで太陽が蜜柑で、たんぽぽの葉を、放射される光(光輪)とでも見立てるかのように。(2010.11.18)
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