虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

道(La Strada)(by フェリーニ)は難解な映画か?

西欧名映画特集 その2



 昨日10.2.19日に、バンクーバーオリンピックで、フィギュアスケート高橋大輔さんが、「道」のテーマソングをバックにした演技で、見事銅メダルを獲得しましたね。おめでとう!!・・・それはさておき



今日は、この「道 La Strada」について書こうと思います。



 フェデリコ・フェリーニ監督は、難解な映画を作るとよく言われますが、彼の代表作の一つ「道:La Strada」について見て行きましょう。ビデオは図書館から借りてきました。ただ、100回以上再生されているので、「取り扱い注意」の品でした。



 以下の粗筋はwikipedia の「道」より。

旅芸人のザンパノは芸の手伝いをする女が死んでしまったため、その姉妹のジェルソミーナをタダ同然で買い取った。粗野で暴力を振るうザンパノと、頭が弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る。
道化の格好で芸をするジェルソミーナ。新しい生活にささやかな幸福さえ感じていたのだが、ザンパノの態度に嫌気が差し、街へと逃げていく。そこで陽気な綱渡り芸人に出会う。ジェルソミーナはザンパノに連れ戻されるが、綱渡り芸人のいるサーカス団に合流することになる。綱渡り芸人はザンパノと古くからの知り合いらしく、何かとからかってザンパノを逆上させる。ある日、限界を超えたザンパノはナイフを持って追いかけるのだが、その行いで逮捕されてしまう。
綱渡り芸人はサーカス団から追放され、ジェルソミーナに助言を与え去って行く。翌日、ジェルソミーナは釈放されたザンパノを迎え、二人だけで芸をする日々をすごした。しかし後日、ザンパノは故障した自動車を直す綱渡り芸人を見かける。仕返しする機会を待っていたザンパノは綱渡り芸人の顔を殴り・・・。


そして、ザンパノは殺人を犯します。この蛮行に嫌気がさしたジェルソミーナは彼と別れ、よるべない彼女はすぐに凍死してしまいます。その後、ザンパノは彼女の吹いていた楽器の音楽が気になる=ジェルソミーナが気になるようになり、ついには、彼女が自分の中で、なにものにも換えられない存在になっていたことが解り、海岸でのた打ち回り、涙に暮れます・・・


 このような映画ですが、この映画について言えば、決して難解なものではないと思われますね。ザンパノの荒涼たる心象風景を見事に映し出しています。実際、モノクロ映画(1954年作)であったこの作品、道ぞいの緑が一切表現できないので、その分だけ荒涼感を演出していますね。



8 1/2』以降の作品はとかく「難解」との世評がつきまとうが、他の「難解な」映画監督とくっきりと異なるのはその楽天的な世界観だろう。ペシミズムも語られはするが、基本にあるのは生きていく意志である。『8 1/2』のラストシーンでの有名な台詞「人生は祭りだ。一緒に楽しもう」はそれを端的に言い表している。それは『道』の中で悲惨な境遇にあるヒロインに向かって語られた「どんな物でも何かの役に立っている。この石ころだって」という台詞から一貫したフェリーニヒューマニズムでもある。

フェリーニ監督について:wikipedia より。



今日のひと言:ジェルソミーナを演じているのは、フェリーニ監督の妻・ジュリエッタ・マシーナ。ザンパノはアンソニー・クイン。映画音楽はニーノ・ロータ。スゴイ製作陣ですね。なお、マシーナは、フェリーニ監督の死を看取ったあと五ヶ月後肺がんで本人も亡くなるほど「おしどり夫婦」だったのですね。フェリーニも男性として幸せ者です。


 なお、西欧の古典映画は、当然CGなどは使っていませんが、CGを多用して作った映画(いまなら「アバター」がその例です)より深い内容を持っていると思います。「大人が子供に迎合してつくった映像」が今のアメリカ映画だと言われます。「心理描写」がすばらしい西欧の映画のほうが、「アクション」が売りのアメリカ映画(とくにハリウッド映画)より上のような気がします。また、古典とされる映画は、以後の映画の雛形になるだろうし、プライマリーなものだと思います。古典とされる映画には脱帽することが多いのです。


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日本フィギュアスケートキャラクターブック2010

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今日の一句: 雪ごとに  どっしり伸びる  麦の子ら