虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

カミーユ・クローデルの悲劇―彫塑(ちょうそ)

ワルツ→(男女の魂の融合を表したみたいな・・・)

http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/go/314.html
 


彫塑という言葉は、「彫刻」と「塑像」をあわせた言い方です。「彫刻」は、素材を削っていって完成するのに対し、「塑像」は材料を足していって完成させるものです。
 だから、一口に彫塑といっても、逆のプロセスをとるわけです。



 これは、私の偏見なのですが、彫刻家の妻ないし同棲相手には、精神病を病む女性が多い気がします。
日本の高村智恵子(相手は高村光太郎)、フランスのカミーユ・クローデル(相手はロダン)。カミーユ(1864−1943)の場合、とくに悲惨で、ロダンはとても不実なのです。カミーユとの前に既に離婚した女性とロダンは積極的に付き合うし、カミーユの作品が世にでるのを妨害したりしています。
 
 なんて肝っ玉の小さい男か!・・・・(死の間際に改心するようですが。)


素材を削っていくという過程は、人間の精神にシビアな影響があるのかもしれません。まあ、塑像もそうかも知れませんね。造形という過程が芸術家の精神に与える影響は大きいのでしょう。


確かに、カミーユは、彫塑の天才でした。ロダンと男と女の関係になり、お互いの作風に影響を与えあったのは事実です。それによって、ロダンカミーユも得るものが多く、作品も似たものを製作するようになるのです。


 以後も、カミーユと言えば「ロダンの弟子」という評価がついてまわります。いくら彼女が自分の独自性を訴えても、なかなか評価されません。


彼女がインドの悲恋伝説を元に作った「SAKUNTALA」と「ワルツ」(どちらもカミーユの代表作)には、“みだら”“ロダンの物まね”との批評が出る。29歳のカミーユは失意に沈み、ロダンとの関係を断つことにした。

http://www.geocities.jp/takahashi_mormann/Articles/camilleclaudel


 そして、運命の1906年、彼女は製作を止めてしまい、強制的に「精神病院」に収容されてしまいます。精神分裂症(現在の統合失調症)との診断です。当時の精神病院は、あくまで「危険人物の世間からの隔離」を目的に運営されていましたから、彼女が外部の人に信書を書いても、握りつぶされてしまったのです。


 そして、30年ほど精神病院で過ごした彼女は、淋しくこの世を去ります。


彼女が狂気に陥った原因の一つは、彼女が選んだ彫塑という芸術分野は、力業(ちからわざ)が必要であり、下仕事の職人も使いこなさなければならない強さも必要であり、製作費用も掛かります。しかも、当時は女性の芸術家を忌避する風習があったこともあげなければならないでしょう。いつも金策に走り回っていたのです。

参考文献:カミーユ・クローデル  天才は鏡のごとく:レーヌ=マリー・パリス/エレーヌ・ピネ  創元社


今日のひと言:カミーユの弟は、詩人として名高いポール・クローデルです。また、カミーユは、1980年代に「遅い」再発見を受け、正当に評価されるようになったのです。


 なお、余談ですが、あるマスコミ関係の会社の入試を受けたある受験生「Rodin:ロダン」について書け、と一般常識を問われ、「中国の作家、代表作:阿Q正伝がある」と書いたことがあるとのこと。これはもちろん「魯迅:ろじん」と取り違えたのです。フランス語は学ばなかったようです、この受験生。


過去ログで芸術について触れたもの一覧

宗達の犬:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070912
菱田春草の猫:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080325
ミュシャのゾディアック:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080710
俵屋宗達の視線: http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090210

ロダン:神の手を持つ男 (「知の再発見」双書)

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カミーユ・クローデル―極限の愛を生きて (朝日文庫)

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