虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

江原啓之と細木数子(詐欺の系譜)

プロ野球中村紀洋に似た男が手紙を読み上げる。スタジオには、家長(漁師)を海難事故で失った家族がいて、涙を流しながら、その朗読を聴いている。そして男が読んでいる手紙は、その死んでいる家長と霊的交信をした結果得られたもので、家長の意志そのものだ、と言う。この番組は12月26日午後6:30から9:00までフジテレビ系で放送された「天国からの手紙」。このようなお話がいくつか続いた末のフィナーレのエピソードです。
 これって、青森・恐山の「イタコ」とほぼおんなじじゃあないかな。ジョン・レノンの霊言を下北弁(当初は青森弁と書いていましたが指摘を受けて書き換えました)でしゃべるイタコとね。どこがイタコと違うんだろう?その男・江原啓之は、wikipediaで調べたところ、幼少のころから霊能力があり、スピリチュアル・カウンセラーで、神職で、歌手でもあるというマルチ人間らしい。 私は、この番組で実物に初めてお目にかかったのですが。
 カウンセラーもするから、臨床心理士でもあるでしょうか。ただ鵺(ぬえ)みたいにとらえどころがありません。 何者だ、この男?
 あの「手紙」はどう見たって、江原啓之の創作でしょうね。まともな感覚の持主なら、だまされることはないでしょう。・・・と、言うか、だまされてはならないのです。と、言うのも・・・
 私は、ナンデモカンデモ「スピリチュアル」という立場に拠って立つのは危険だ、と思います。オウム真理教は、この種の感性を持つ人に浸透し、あの恐るべき犯罪集団を産み出したのを忘れてはならないでしょう。「テレパシー」なんかなくても「電話」があるでしょう?この当たり前の事実の意味を知らない人が多すぎるのです。オウムの犯罪者の中には、医学部とか物理学科出身のバリバリの理科系出身者が多かったですが、すぐにもウソが見抜ける麻原彰晃の「空中浮遊」というトリックにあっさり騙され、これまで獲得していたはずの自然科学の視点を放棄したわけで、この問題は根が深いです。この「空中浮遊」のトリックを自らの実践によって論破した瀧本太郎弁護士のもとに、「弟子にしてください」と殺到した若者が少なからずいたことも深刻です。
江原啓之の場合、その穏やかな風貌、どっしりとした体格、声楽もやる声量と声質、すべてが相俟ってクライアントに「安心感」を与える効果はあるのだと思います。でも、それは彼が本当のことを言っていることの保証にはなりません。クライアントの状況を把握できる程度の知能があれば、あの番組での「手紙」なんて、いくらでも「でっちあげられる」のです。「でっちあげ」でないのなら、それは江原啓之本人が証明すべきことがらでしょう。著作が700万部も売れた人であるからには、社会的責任があるのです。あ、江原啓之の特質は、通常のカウンセラーとか臨床心理士でも、あったらいい資質ではあります。でも、それらの人たちを飛び越えてスピリチュアルな世界に飛んじゃうというのは、危険だと言っているのです。この世界にはなんにも客観的論理性がないのですから。この種の番組を好む視聴者も、安直な感動を求めすぎる傾向があると思います。感動は、綿密で周到な準備を苦としない人にこそ訪れるのです。電話を発明する確固たる理屈と試行錯誤にこそ思いを馳せて欲しいのです。


また、2007年1月6日、テレビ朝日系の「細木数子VS日本の歴史」をオープニングから見ていたら、30分の間に、2つも間違ったことを発言していました。ひとつは織田信長が好んだ「敦盛(あつもり)」のサビ、下天のうちをくらぶれば・・・」といった言葉を「見渡せば・・・」と置き換えていたこと。不正確ですね。歴史ファンからは、これだけで見放されるでしょう。
 もうひとつは、信長の時代(安土桃山時代)に「士農工商」の身分制度が確立していたとの認識を持っていたこと。これも不正確。 (どころか、こんな間違えた知識を教えるなど、もはや犯罪的です。信長の跡をついだ秀吉が「太閤検地」とか「刀狩」をやったのは、まさしく兵農分離・・・「士農工商」確立のためだったわけですから。そして「士農工商」が定着したのが江戸時代。)
 何にも知らないんだなあーー、このヒト。2つも歴史への無知を晒していながら、その後はいたいけな中学生たちに自分のいい加減な占術をアピールする!! だいたい、細木数子はいい加減な占いのアラを押し出しの強さでカバーするハッタリおばさんですね。また周囲に常時、犯罪の匂いがプンプンまとわり付く如何わしい人でもあります。


 細木数子に言いたい:「あんた、地獄へ落ちるわよ。」


(その後午後7:00になったのでNHKニュースにまわしました。)


細木数子の場合、占いそのものについても、(占いという行為に妥当性があればの話ですが)いい加減な理解に立って活動していますね。もともと、かなり高名な中国占い師の弟子だったそうですが、自分勝手に六星占術という「新流派」を立ち上げたようですね。なにか後ろめたかったのでしょう、虚勢を以ってマスコミに対峙するほかない、すなわち「劣等感」の裏返しの態度ではないか、と思われます。本文で書いたように、歴史ひとつとっても、不正確な知識しか持っていないような生半可な人ですから、突っ込まれそうになると過剰反応で「地獄、地獄」と脅すわけですね。
 「女ヤクザ」とも言われるこの人、虚勢が全てです。
江原啓之とか細木数子とかが呈示する、こういった「スピリチュアル=霊的世界」というのは、検証不可能ですから、何とでも言えますね。そのとき論者に必要とされるのは「揺ぎ無い確信」を(論者が持っていると)相手に伝えられる表現力なのでしょうね。さもないと、相手の信用は勝ち得ないのです。それにしても、なんと自信たっぷりにしゃべることか。「霊的世界」についてこのような話法を持つ人は、すべてウソをついているのです。
 それにしても、年末年始にかけて、この種の番組の多いこと。見るに耐えませんが、その酷さを研究してみるのも一興かも知れません。
 それから、細木数子は、あくまで中国占いの人ですが、その中国占いの論理体系に「地獄」という概念はありません。これは仏教との混同です。なにを勝手にしゃべっているのだろうか。だいたい、占いの体系から見ても、細木数子六星占術は粗雑なもので、巷間の星占い以下の代物です。



今日のひと言:彼らのようないかがわしい人物が持て囃されるのも、私たちの中に彼らを待ち望む感性があるからです。なんとか消滅させられないか、この感性。

 なお、Wikipediaによると