虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

男女5歳差の喜劇:『初恋』と『肉体の悪魔』(随想録―85)

男女5歳差の喜劇:『初恋』と『肉体の悪魔』(随想録―85)




ツルゲーネフの小説『初恋』を読んでみた。この本は、むかしの装丁を復刻したもので、文庫本よりやや小さい小型本。(生田春月・訳:新潮文庫)主人公は16歳の男子高校生:ウォルデマアル、恋の相手は21歳の、零落貴族の令嬢:シナイイデ。ウォルデマアルの借家人として母と越してきた彼女は、そこで男たちを侍らせて、サロンを開いている。そこに「子供」にしか過ぎないウォルデマアルも招かれて・・・彼が彼女に幻惑される日々が展開する。彼は彼女の一挙一投足に一喜一憂するが、シナイイデは、なんとウォルデマアルの父と肉体関係を結んでしまう・・・手玉に取られた形のウォルデマアルは、その痛手から徐々に立ち直り、一人前の男になってゆく。虚無的ながらも。



大体、女性が男性より5歳年上だというのは、ゆゆしきことで、おおむね女性が男性を引きずりまわすということが、目に見えている。逆の場合、まあ、釣り合うこともあるかな、という具合に、女性は男性よりも早熟なのである。


『初恋』では、フランス語が頻繁に登場するが、そのフランスにも、5歳女性が男性よりも年上のカップルが書かれた小説:『肉体の悪魔』がある(レイモン・ラディゲ作)。この小説の場合、新婚ほやほやのマルトと、彼女のツバメになるフランソア(この名称は映画でのもの。小説には名前は登場しない)彼らはフランソアが早熟だったこともあり、対等で、マルトの夫に対しては、最後まで「共謀」をやり抜く。


マルトは、フランソアとの間に生まれる不義の子に、「フランソア」という名前を付ける。マルトはお産に際し、死ぬことになるのだが、「愛する男の名を叫びつつ」死出の旅に出る。でも、夫から見れば、子供のことを案じて死んでいく、よき妻・母という印象を与えることになる。そのマルトの意図を知ったときのフランソアの喜びはいかばかりだったか・・・


まあ、『肉体の悪魔』の場合は特殊なものかも知れない。繰り返すが、男女の5歳差というのは、「喜劇」の基である。

 (2023.02.12)







今日の7句


草ならん
ミイラになりき
玄関で



 (2023.02.04)



どこにても
衆生を救う
六地蔵



 (2023.02.05)



褐色の
冬を越しつつ
バッタかな




死んでいるかと思ったら、生きていた・・・

 (2023.02.05)



外へ出て
ほたえる元気
今はなし




公園で中学生たちが雪遊びしているのを見て

 (2023.02.10)



雪の日に
不眠不休
すべからず



 (2023.02.10)



子供らの
作りしおもちゃ
融けかける



 (2023.02.11)



雪を受け
緑再び
コケの春



 (2023.02.11)





『かもめ:Чайка』(A.チェーホフ):演劇を介した悲恋(随想録―84)

『かもめ:Чайка』(A.チェーホフ):演劇を介した悲恋(随想録―84)



A. チェーホフの戯曲『かもめ』を読んでみた。大変面白かったので、一気に読み終えた。この戯曲には何人かの登場人物が登場するが、一組の恋人と、その仲を割く作家の3人が重要である。(強いて言えば、この恋人たち。)




新進の劇作家:トレープレフは地主の娘で女優の卵のニーナと恋仲で、彼女はトレープレフの劇の主役を演じる。だが、トレープレフの劇は斬新過ぎて、古いタイプの劇に慣れた人達には不興だ。当のニーナもこの劇に不満で、もっと別の場で女優をやりたいと願う。


そんな時、トレープレフは狩りで「かもめ」を撃ち落とし、「それが自分である」とニーナの面前に置く。ニーナは、ちょうどそのころ、トレープレフの家に滞在していた作家:トリゴーリンに惹かれ、彼を追ってモスクワに出て、女優を目指す。


トリゴーリンの子を産み、死なせ、浮気なトリゴーリンに見捨てられたニーナは、どさまわりの女優になるが、その頃は新進作家として名が売れ始めていたトレープレフの前に姿を現し、「わたしはかもめ・・・」と2度呟くが、一緒になろうと誘うトレープレフの懇願には耳を貸さず、消える。そして、トレープレフが制作を依頼していた、あの「かもめ」の剝製が届いた直後、銃声が・・・トレープレフは自殺するのだ。


「かもめ」は、トレープレフであると同時に、ニーナでもある。演劇人のことをひろく暗示しているとも思える。(これは、新傾向の演劇をやっていたチェーホフのことをも指すとも言えよう。)それにしても、「かもめ」たちは痛々しい。


今回読んだのは、『かもめ』(中本信幸 訳:新読書社)で、非常に読みやすい訳文だった。ちょっと腑に落ちない点は、この戯曲が「4幕の喜劇」であるとされている点。この作品のような悲しい結末の作品の場合、「悲劇」とするのがより妥当だと思われるのだ。通常話の経緯・展開がどうあろうとも、ハッピーエンドなら「喜劇」、バッドエンドなら「悲劇」というと私は理解していたのだが。

 (2023.02.04)






今日の7句


絡みつく
大きなマッス
藤の木か



 (2023.02.01)


(公園3句)


滑り台
怪獣支え
頼もしき



 (2023.02.01)



背き合う
二頭の獅子の
空間か



 (2023.02.01)



藤が巻く
回廊春に
来たきかな



 (2023.02.01)



咲き初めし
白梅春に
先がけり



 (2023.02.03)



すぐにでも
開花しそうな
沈丁花



 (2023.02.03)



黄水仙
確かな色で
佇むや



 (2023.02.04)