人間関係事例集というのがないかな?・・・ED治療の現場から
- 作者: 石蔵文信
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2004/11/17
- メディア: 単行本
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その3人の男女(男2人、女1人)は、特別な関係です。男Aは、AVヴィデオライター(アダルト・ヴィデオライター)で、AVの中の2次元の女性には欲情しても、現実の女性に対してはED(Erectile Dysfunction・勃起不全/勃起障害)になってしまう男性です。昔でいう「インポ・インポテンス」です。(現在はこの「インポ」という表現が差別的であるという理由でEDと用語が統一されています)女Bは、風俗嬢。彼女のほうからAに働きかけ、いろいろな交流があったのですが、AがEDであることが解り、「SEXによってこそ愛が確かめられる」という信条を持つ彼女Bは、恋人としてのAには見切りをつけ、正常なSEXを求めて男Cとくっつきました。でも、AとBの精神的なつながりは切れることがなく、お互い近所に住み、A、B、C3人で食事を取ります。Aから見れば不可能なSEXをCに代行してもらえるので気が楽であり、ものを書くBにとってもライターであるAからもらう有形無形のアドバイスは不可欠なのです。3人とも、この三角関係に異存はないわけです。もとはと言えばAが三次元の生身の女性とSEXができないという特殊事情から生まれた関係ですが、うまく回転しているというわけです。(「アキハバラ@DEEP」の登場人物・ボックスのような人が本当に存在するのですねえ。というか、そのような男性はかなり存在するとのこと。例えば、ゲームの中の女性キャラクターにしか欲情しない男性など。)アキハバラ@DEEP(by石田衣良・アカネマコト)については、以下を参照してください。
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060609
以上のお話は「男たちのED事情」(豊田正義:晶文社p167―p193)より。そうすると、Aは自分の子孫が残せないことも受け入れていることになりますね。BとCの間に子どもが生まれたら、自分の子のように接するのでしょうか?
私は、以上のお話を読んで、「事実は小説よりも奇なり」という言葉を想起しました。想像するという行為の範囲では、このようなお話は作り得ないのではないでしょうか。もし、上記の3人の男女のような特異な事例を集めた「人間関係事例集」という書物が存在するなら、私は是非読んでみたいですね。小説家にとっても、尽きせぬイメージの源泉となること請け合いです。小説は、人間関係の分析から始まると思うのですが、それに先立って人間関係の事態の設定が必要になるでしょう。設定さえ決まれば、登場人物たちを動かす作業は、そんなに難しくないと思います。人間関係の綜合化ですね。設定→分析→綜合。
私もこの前小説のようなものを書いてみましたが、(http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070317)自らの原体験と人間関係がそう特異なものでなかったため、表現にのみ凝った作りになってしまったのが残念です。まあ、2人の男女の集合離散を書いただけの、設定的にはありふれたお話でした。そんなときこそ「人間関係事例集」があったらなあ、と思う今日このごろです。設定さえあれば、面白い小説が自動的に出来るのだと思います。
今日のひと言:EDの男性には、どうしても女性性器の生々しさ、現実感についていけない人がいるようです。そういった人が二次元の女性にはまるのですね。