虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

rockin’on(ロッキング・オン)の断定

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 rockin’on(ロッキング・オン)は1980年代にロックフリークにパンク、ニューウエーブ、レゲエなどの情報を提供し、現在も編集長を替えながら存続している月刊ロック誌です。
 私はYMOを聴くまではクラシック音楽とかニューミュージックとかを好むどちらかと言うと保守的、一般的なリスナーでしたが、YMO(イエローマジック・オーケストラ:ワイエムオー)の挑発的な音を入り口としてパンク、ニューウエーブ、レゲエのやはり挑発的な音楽に入っていきました。その道案内役だったのがrockin’on(ロッキング・オン)です。
 当時の編集長は渋谷陽一氏であり、彼を含めレビュアーたちは、他の音楽雑誌とは一味も二味も違うレビューを書いていました。その特長は、自らの評価基準がはっきり決まっていて、その尺度によってミュージシャンを料理する、とでも言えますか。ミュージシャンによっては「ダメ」という評価が定着した人もいました。思い出すと、浜田省吾などは評価が低かったようです。また、どんなに刺激的な音を作っていても、その音作りの過程に難があれば、批評の対象になります。例えば、トーキングヘッズというアメリカのバンドが、本来白人のリズム感で音を作るべきに、安易に黒人ミュージシャンを導入して音作りをするのは感心しない、との批評を渋谷陽一氏がしていました。
 これらは、ある意味言いがかりです。価値観が多様化したなかで、当時のrockin’on(ロッキング・オン)の立場は極めて硬直的、独断的であると言えるでしょうね。でも、当時の私には、とても魅力的な独断でした。音楽的感性がrockin’on(ロッキング・オン)によって教育されたということもあるでしょう。もうひとつは、「音を音楽のみとして捉えるのではなく、世界観として捉える」という視点があったのだと思います。そういった意味で先のトーキングヘッズの例は、渋谷氏にとって批判の対象になり得たわけですね。
 さて、現在のrockin’on(ロッキング・オン)が手許にあります。(2006年5月号)編集人は山崎洋一郎氏、80年代のrockin’on(ロッキング・オン)はもう手許にないので回想での比較になりますが、ページ数ととり上げるミュージシャンの数が増えたようです。また挑戦的なレビューはほとんど見当たらず、インタビュー記事が多くのスペースを占めます。女性ライター、女性編集者が増えたようです。スタンスとしては、ロックシーンの有様を予断を廃し、そのまま読者に伝える・・・ロック総合情報誌を指向しているように思えます。まあ、おとなしくなったな、という感じ。
 ただ、渋谷陽一が80年代のrockin’on(ロッキング・オン)で呈示した「音を音楽のみとして捉えるのではなく、世界観として捉える」という視点も影をひそめ、私本人としては、特に読みたくもない本になってしまったようです。(手許の本はインターネットカフェで貰ったものです。)


今日のひと言:rockin’on(ロッキング・オン)で知ったミュージシャンのなかでも
 Killing Jokeはお気に入りです。



  なお、当時環境問題における運動・「自主講座」をしていた私は、ロッキング・オンの編集部に伺い、渋谷陽一氏に講座の情報の掲載をお願いしたことがあります。「他のところも掲載を頼みにくるだろうから」と断られました。渋谷さんは、背の高い、長髪がさらさらとして犀利な感じの人でした。